多くのクライアントから絶大なる信頼を集める地元密着型の会計事務所を経営する太宰真澄さん。事業承継士の資格を取得し、様々な専門家と連携しながら新たに、事業承継に関するワンストップサービスを提供しようと考えています。税理士である太宰さんが、どうして事業承継に着目し、後継者支援に注力しようと考えたのか。その“思い”の原点となったご経験についてうかがいました。

 

税理士を目指す“きっかけ”は、母から聞いた「お客様からのありがとう」

――○まずは自己紹介と事務所の歴史などについて教えてもらえますか?

太宰さん(以下敬称略):父の跡を継ぎ二代目として会計事務所を経営しています。両親がここ千葉県八千代市で開業して42年が経過しました。父は元々、損保会社の営業でトップセールスだった様ですが、母の勧めもあって税理士になろうと思い立ち資格を取得して独立。国道沿いで京成勝田台駅に徒歩4分という便利なこの地に事務所を構えました。西船橋からの東葉高速線が伸びる前の話ですから、父には先見の明があったのでしょう。今ではこの地域は東京のベッドタウンとして発展を遂げています。

私自身が税理士を目指すきっかけになったのは、父と二人三脚で仕事をしていた母から「この仕事は、お客様がお金を支払ってくれる側なのに、“ありがとう”と言ってくれるのよ」と聞いたからです。何度か聞いているうちに、私も人から感謝される仕事がしたいと思うようになりました。そして、大学と資格の専門学校の両方に通いながら勉強を続け、就職先である監査法人トーマツ在籍中に税理士資格を取得することが出来ました。トーマツには4年間勤務し、その後、父の事務所に入所しました。

 

――○入所後、どの様な働き方からスタートしたのですか?

入所した際は当然、平社員からスタート。弊所の社員は有能な方が多く、仕事の出来る気の強い社員からは叱られることもありました。私が女性だということもあり、本気で事務所を継ぐとは思われていなかったかもしれません。揉まれながらも、自分が実力を付けるしかないと思い、社会保険労務士の資格も取得して税務だけでなく社会保険についての質問などを社員から受けているうちに、だんだんと認めてもられるようになりました。

そのころ、父が千葉県の税理士会の会長となり事務所に居る時間が短くなったので、飛び込みで来た新規のクライアントを私が引き受けるようになりました。やがてクライアント数が増えてきたので、私の名前で税理士・社労士事務所を開業して社員も採用しました。その後10年間くらいは、父の会計事務所と小さい私の事務所が、同じ場所で共存している状況でした。

大きなプレッシャーの中で決断した事業承継

――○お父様の事業を承継することになった経緯は?

太宰:父が70歳を超えた頃から「事務所を継いで欲しい」と言われるようになりました。さすがに第二子の出産前後は言われませんでしたが、その子が1歳を超えたあたりから、また父から「早く事務所を継いでくれ」と言われました。でも、その頃には自分のクライアントも40社に増えていて、仕事に加え3歳と1歳の子育ての両立で精一杯でしたから、父には「体が元気なうちは、頑張って欲しい」と伝えていました。

しかし、父は旅行などの趣味を優先したいタイプで、仕事に対する執着もなかったので、「とにかく早く」の一点張りでした。それに対して私は「子供の成長を待ってからにして欲しい」と主張して平行線が1年以上も続き、時には口論になるほどでした。

でも、父が75歳になった時に「そんな事を言っていると、俺は死んでしまうんだよ」と切ない声で言われて、その言葉が私の胸にグサリと刺さりました。

 

――○その時は、どんな心境だったのですか?

当時、私の事務所は社員が3人でクライアントが40社対して父の事務所は社員が5人でクライアントが140社、個人の確定申告も200件ほど受けていました。ですから、引き継ぐとなると、実に4~5倍以上の件数になる計算でした。私自身、税理士は自分の天職だと感じていましたが、仕事はきちんとやりたい職人気質ですから、今までやっていた数の2倍でも大変だと思いました。それなのに、どうしたら4~5倍以上の責任を背負うことが出来るのか?と、非常に大きなプレッシャーを感じました。さらに、年上のベテランの先輩社員たちが、果たして私の言うことを聞いてくれるのか?不安しかありませんでした。

 

――○事業を承継すると決めた理由は何だったのですか?

その時、もし仮に私が事務所を継がなかったら一体どうなるのだろう?と考えてみました。

ベテラン社員達は、再就職となると厳しい年齢でしたし、この場所に会計事務所があることを便利に感じてくれているクライアントにとっても、ここが無くなったら困るかもしれないと考えました。よく考えた結果、この場所に会計事務所が存在し続けることが、社員とクライアントにとって最も大切なのではないかという結論に至りました。その時に「だったら、もう継ぐしかない」と覚悟が決まりました。

覚悟を決めた瞬間にマインドセットされたのか、自分の不安はさておき、会計事務所の事業承継においては、父であるベテランの70代男性から40代女性である私が引き継ぐことで、クライアントに対して不安を与えないようにすることの方が大切だと気づきました。

クライアントの“不安”を解消した事業承継パーティー

――○どのような“見せ方”をして、不安を感じさせないようにしたのでしょうか。

太宰:父がその当時75歳だったので、引き継ぐ時期を77歳の喜寿のお祝いと重ねようと考えました。私にとって事業承継は、非常に険しいネガティブな事に思えましたが、対外的には喜寿と重ねることで、おめでたいポジティブな出来事にしてしまおうと思ったのです。

そして、父に2年待ってもらうように説得して2年間の準備期間を確保し、最初に経営理念や戦略を考えました。クライアントから“頼りになる会計事務所”と感じてもらうためには、私の持っている国家資格や会計業界での20年余の実務経験を伝えること、女性である私が1人で父の事業を継ぐわけではなく、事務所全体がチームとなってクライアントを支える体制であることをPRする必要があると思いました。

 

――○具体的には、どのようなチーム作りを考えられたのですか?

当時、父が「ワンストップサービス」という言葉を好んで使っていて、税理士と社労士業務に加え行政書士業務も行っており、登記の依頼があれば弊所を通して頻繁に司法書士にお願いしていたので、なんとなくワンストップ的なサービスを提供していました。そこで、残るは弁護士だと考えて、色々な方面に声をかけて提携できる方を探した結果、協力してくれる弁護士先生も見つかり5つ国家資格の専門家が揃いました。

また、国税OBの先生にも提携してもらうことにして、税務署側の見方や考え方も視野に入れながら相談に乗れるような体制を整えることが出来ました。私は、これを明確に見える化しアピールすることで、クライアントの不安を解消しようと思いました。

 

――○どのような方法で「見える化」して、クライアントにアピールをしたのですか?

新しい事務所の体制をクライアントや取引先に伝える場として、事業承継パーティーを地域のホテルで開催しようと考えました。しかし、ちょうど当時は東日本大震災後の自粛ムードで、世の中全体が沈んでいました。父からは「わざわざホテルで派手にやる時期ではない。地道に1社ずつ挨拶をしてまわるべきだ」と反対されましたが、私は「挨拶まわりもするけれど、まずクライアントに一斉に、これからのビジョンとワンストップサービス体制について伝える場にしたい」ということを説明しました。すると父の方から「では、ご祝儀はもらわないパーティーにするのはどうか?」との提案がありました。私としても、日頃の感謝を伝える場にしたかったので賛成し、名称を「感謝の集い」としました

そして、パーティーで配って説明するために、新しく事務所のロゴやパンフレットを製作し、封筒もカラーに刷新しました。事務所パンフレットには新旧の代表挨拶や新しい経営理念、ワンストップ体制でのサービス内容を解りやすく記載しました。また、プロの方にお願いして5人の専門家や全社員の仕事風景を撮影してドラマ仕立ての動画を製作し、パーティー当日のメイン・イベントとしてお披露目しました。

 

――○パーティー後の反響はいかがでしたか。

太宰:事業承継パーティーには、クライアントや取引先など130名が参加して下さいました。参加していただいた方から「こんなに顧問先多かったの?凄いですね!」と、あらためて弊所の規模などを認識していただけたようで信頼に繋がったと感じました。実は、心の中で、「少なくともクライアントの2割位は減ってもおかしくない」と覚悟していたのですが、実際に減ったのは180社中1社だけで、その1社も事業承継から3か月後に担当社員が定年退職したタイミングでした。ですから事業承継パーティーの効果は絶大だったと思います。

「事業承継士」としての、今後の取り組み

――○太宰さんが事業承継士を目指した理由はどのようなものだったのでしょう。

太宰:これまでお話ししてきたように、自分が事務所を継ぐまでの2年間はやることが多く、準備期間としては短か過ぎて、とても大変な思いをしました。ですから、この苦労した経験を誰かの役に立てたいという思いが私の中で生まれました。仕事は誰かのためにするものだと思いますが、私は一体誰の役に立ちたいのか?と自問自答したときに「私と同じような立場にある後継者の役に立ちたい」と気づいたし、私は父をハッピーな形でリタイアさせてあげられたので「クライアントの社長にも同じようにハッピーな形でリタイアさせてあげたい」と思い、事業承継士の資格を取ろうと考えたのです。

 

――○今後の取り組みについてお聞かせください。

太宰:今、日本の事業承継は危機的な状況にあると感じていますので、大げさに言うと、自分の今までの経験が日本の役に立てたら、本当に嬉しいと思います。そして、私と同じような立場にいる後継者に寄り添い、励まし、応援する役目を果たしたいと心から感じています

今後は、事業承継サービスもワンストップで提供したいと考えていますので、この地域で事業承継をやりたい人たちでチームを作りたいと思っています。例えば、中小企業診断士、ITコンサル、金融機関の方を巻き込みたいですね。経験上、事業承継には広告宣伝が重要ですので、その分野のプロフェッショナルの方とも一緒にやりたいと思います。

事務所も改築して、事業承継に必要な人たちで構成されたチームが集まれる場所を作れば、クライアントが色々な相談をしやすくなると思います。それを未来に向かって実現させることが、私の夢です

太宰会計事務所 所長:太宰真澄

太宰会計事務所は創業して40年間、八千代市と佐倉市を中心に180社余の中小企業の成長に貢献して参りました。私自身も、税理士と社会保険労務士という二つの資格を取得し、20年の実務経験を重ねながら、日々皆様のお役に立てることに幸せを感じています。今後とも、地域の中小企業の皆様のために、何でも相談できる経営パートナーであり続けたいと考えています。

 

制作:株式会社エーアイプロダクション

取材・撮影・編集:伊藤秋廣(Akihiro Ito)

執筆:武田光晴(Mitsuharu Takeda)