親の会社を継ぐ技術~後継者のゆく手をはばむ5つの顔を持つ龍とのつきあい方~ の著者であり、損害保険・生命保険代理店事業、健康・防災における商品・サービスの販売・コンサルティング事業を実施するサンクリエイト株式会社の代表取締役、そして、親と子の心をつなぐ事業承継をテーマとした株式会社アウェイク代表取締役でもある田村薫様に、サンクリエイトを事業承継した際の葛藤とアウェイクという企業の設立について、お話をお伺いいたしました。

後継者として引き継ぐ事業承継時の葛藤

サンクリエイト株式会社は1970年創業。保険代理店業を中心とし、先代が大阪府で築き上げた企業です。
当時は、保険代理店として法人向けに営業を行なっていた企業は少なく、1代で自社ビルを持つまでに成長を遂げた。
30歳でお父様から経営を引継いだ際のご苦労を伺いました。

事業承継をする側としての葛藤

――○事業承継は、お父様の希望で行われたのでしょうか。

そうですね。急に言い渡された形です。準備もなく、実際には各種書類にサインを行う形で事業を承継しました。

当時、親父は60歳手前で役を降りるということで伺いましたが、実際の経営実権は、親子という関係を残したまま事業の完全に引き継ぎが実現していたわけでは無かったんです。
1代で保険代理店の営業マンとして、築きあげた会社だったこともあり、自社ビルを持ち一城の長として、私が社長になった後も、10年ほどは事業に関与する形でした。

――○お父様は相談役などの役を受けたわけでは無かったんでしょうか。

相談役は、現場を離れる印象を与えるとのことで、先代本人は好みませんでした。
実際に株等の引き継ぎなどの書類上の手続きこそ着々と進めていたものの10年ほどは、すっきりしない関係が続きました。

元々、保険というサービスに疑問を持っていた私と、保険の営業マン一本で事業を立ち上げた親父とは、戦略等の観点でも合わなかったので。

――○サンクリエイトのホームページにも記載がありますが、『保険の必要性をこの世から無くしたい。そんな思いを持った保険屋さんです。』この言葉は、引き継いだタイミングで作ったものなのでしょうか。

いえ、5年程前に作りました。今、保険はある種の“オワコン”だと思ってます。
保険代理店は国内に20万事業者あるのに対し、あれほどたくさんあるかのように見えるコンビニでさえ5万数千店。そういった意味では、圧倒的にレッドオーシャンだと思ってます。
保険は、しょうがないから買うという形態になっていて、差別化も難しい。
それを、営業スキル・営業テクニックで販売をしてもしょうがないという思いを持っていたんです。

例えばですが、お医者さんがいない世の中が幸せな世の中な様に、保険が必要の無い世の中が理想だと思ってます。

故に、事故があって役立つ保険というサービスを考える前に、事故が起こらない状態を作るのが一般的な考え方なはずです。
だからたとえば、がん保険をお勧めするのも大事なことですが、がんにならない、あるいはできるだけ早く見つけることが、お客様の願いなはずです。
そんな考えから、スクリーニング検査などを実際に提供しております。

また、社員の意識の改革も行なっております。

保険の営業マンは保険商品ありき、つまりプロダクトアウトのスタイルが一般的です。
「こんなにいい保険があるから加入しませんか?」というセールススタイルですね。
しかし、私どもはお客様が未体験の新たな世界へ足を踏み出す時のはじめの一歩を軽くすることが仕事だと思っています。
その手段の一つとして、保険というものが役に立つなら、役立てていただくという考え方を中心に据えています。

事業承継を支援する側としての株式会社アウェイクの設立

――○ありがとうございます。そういった思いから、アウェイクという会社を設立されたんでしょうか。

アウェイクという言葉には、様々な意味がありますが、設立した理由は大きく2つあります。
一つ目は、私自信が後継者として引き継ぎの際に経験した悩みが大変深かった。家族(人)のことにあたる内容であるが故、他人には相談がし辛かった。
その悩みに応えられる環境を作りたかった点。
実際に、後継者として事業を引き継ぐ悩みに押しつぶされる人も少なくありません。

もう一つは、保険の代用品としてコミュニティを形成することが出来ないかというチャレンジです。
現代では、保険というお金(金融サービス)が、いざという時の為のものですが、昔はコミュニティがその補助の役割をしていたのです。
実際に、東日本大震災の時に起こった災害で被害を受けられた方々を支援したのは、周囲の人であり、昔はコミュニティで親にまさかのことが起こった場合は、周囲の人が子どもを育てていく。そういった社会が今また必要なのではないかと考えています。実際に、昨今のクラウドファウンディングも困った人に資金を集めていくことで、再生を行なっています。お金に代わるものとして、助け合いが存在するのではないか。
それ故に、面白いことができるのではないか。

という思いで設立をしました。

また、オンラインを活用することで、距離の垣根を超えることもできるという点でも、面白いのではないかと思ってます。

――○興味深い話ありがとうございます。実際に今後のアウェイクはどの様なことをお考えですか?

まだ、固まっていないのですが、現在の後継者・経営者は、如何しても勉強会などは個人のお財布で工面している部分が多いので、法人ぐるみで助け合いができるコミュニティを形成したいと思っています。

また、e-ラーニングなどを使って、経営者の育成を行うことも一つの目標としておます。

実際、経営者は意外に細かいことを知らないケースも多数あって、例えばコピー機の設置をいざするとなると、どういった契約方式が良いのかなどがしっかりわかっていない経営者も少なくありません。
そうった場合には、経営者の参謀役としたよろず相談の様なことをやっていきたいと思ってます。実際に私が運営する「経営参謀」も、そう言った目的で立ち上げたサイトになっております。

情報発信を行う原点

――○「経営参謀」や本の執筆など文面で多くのことを残されていますね。

保険の営業を行う際に、強引なセールスを好んでいなかったことが、ターニングポイントだったかもしれません。強引なセールスを行うぐらいなら「筆で売ろう」というふうに切り替えられたことが大きいかも知れません。

――○ サンクリエイトからアウェイクの立ち上げまで、一貫して経営者の課題に目を向けられている印象を受けますが、その様な機会が多かったのでしょうか。

比較的早いタイミングで、事業承継をしたことも一つの要因だと思ってます。周囲が事業承継をする前に、引き継いだことと、同時に保険代理店として、周りが2代目・3代目に引き継がれる流れの前に、引き継ぎを行なったことから、継がれる立場の気持ちがわかっていたこと。
そして、保険代理店の取引先の多くは法人だったこともあり、先代・元経営者と会話することも多かったのもその理由の一つかも知れません。

また、保険会社さんと一緒に、事業承継の経験をセミナーで登壇する機会があったことも影響していますね。

――○貴重なお話ありがとうございました。

サンクリエイト株式会社 代表取締役 /株式会社アウェイク 代表取締役 田村 薫氏

1968年生まれ。
大学卒業後、父親の経営する保険代理店に就職、後に代表取締役となる。
その過程で多くの中小企業において、親子での事業のバトンタッチがうまくいっていない実態を目の当たりにする。25年にわたりその確執について、独自に研究。
後継者の才能を開花させることを目的とした、後継者コミュニティ『後継者倶楽部』を主宰。
今後、「大人の成長」をキーワードとした企画を、株式会社アウェイクにおいて立ち上げ計画中。

親と子の心をつなぐ事業承継
https://jigyo-shokei.com/

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