愛媛県といえば蜜柑や道後温泉が人気ですが、実は地域で愛される「たぬきまんじゅう」という銘菓も有名です。県内はもちろん、国内の都道府県にもたくさんのファンを持つたぬきまんじゅうは、愛媛県西条市に本社を構えるたぬき本舗株式会社によって、一つ一つ手づくりで製造、出荷されています。愛媛県民にとっては、幼い頃から舌に馴染んでいたたぬきまんじゅうですが、実は2018年に廃業の危機を迎え、90年以上続いた歴史に幕が降ろされようとしていました。今回は、「この味を途絶えさせてはいけない」という強い思いで事業承継に望んだ後継者の森様に、事業承継時のお話を伺いました。
取材先:たぬき本舗株式会社 代表取締役 森 達正氏
昭和45年西条高等学校卒業、昭和49年拓殖大学卒業、昭和49年から西条食品協業組合に勤務。
昭和51年から平成30年まで森スポーツ(自営)を経営するかたわら、平成7年から西条市議会議員を5期18年間務める。
平成30年に事業承継により、たぬき本舗株式会社の代表取締役に就任。
西条市PTA連合会会長、西条市交通安全協会会長、西条市サッカー協会長などを歴任。
現在は拓殖大学評議員、同学友会愛媛県支部長、愛媛県サッカー協会参与。
Webサイト:https://tanukimanju.shop/
小野澤)まずは、たぬき本舗株式会社様の事業内容について、改めてご説明いただけますでしょうか?
森氏)たぬきまんじゅうの製造や、直営店での販売、卸しがメインになります。卸先は多岐に渡り、スーパーなどでもお取り扱い頂いています。
小野澤)お話によると、神社の境内でも販売されていたと聞きました。森さんはそちらでたぬきまんじゅうを販売されていたんですよね?
森氏)そうなんですよ、私の家内の実家が古くから神社の境内で土産物店を営んでおり、私もたぬきまんじゅうの販売を手伝っておりました。それで、約2年前に「(たぬき本舗を)廃業するつもりだ」という話を聞いて、先代に「続けてくださいよ」とお願いをしたんです。でも廃業の気持ちが強く、事業継続はできないとのことでした。
小野澤)当時の心境としては、どのようなものだったのでしょう?
森氏)もちろん私もたぬきまんじゅうのファンだったし、「いつも食べていた”たぬきまんじゅう”をなんとか残したい」という強い思いがありました。それが事業承継の要だったと思います。
廃業、というキーワードが、当時66歳だった森さんの気持ちに火を着けました。地域で愛される銘菓を守るために、森さんの大挑戦が幕を開けます。
小野澤)実際には、どのように事業承継に取り掛かられたのでしょうか?
森氏)事業を引き継ぐための資金があったわけではないので、まずは商工会議所に相談しました。そこでは親身に話を聞いていただいた上で「よろず支援拠点の担当者につなぎますよ」とご紹介いただいて、よろず支援拠点へ相談に行きました。
(よろず支援拠点の)担当者の方からも応援していただけて、無料で事業計画書の作成を手伝ってもらったんです。それから、資金を借り入れるために日本政策金融公庫へお繋ぎしていただきました。そこでも担当者の方からアドバイスを受けて、一緒に事業計画書を修正していき、公庫からの借り入れで不足した分を地銀で借りよう、ということになりました。その後、公庫の担当者さんから地銀へ話を通してもらって、不足分も借り入れることができたんです。
小野澤)すごいですね…。皆さんの応援したいという気持ちが伝わります。
森氏)そうなんですよ(笑)事業承継直後は卸先のスーパーさんも良い単価で仕入れていただきまして、復活劇を盛り上げてくださったんです。
小野澤)地域に愛されていることがひしひしと伝わってきますね。
森氏)先代の近藤さんも「たぬきまんじゅうを残したい」という思いが強かったんです。本当は誰かに継いでいただきたい、と思っていたところで、私が手を挙げたんです。
小野澤)事業承継では先代との関係性やお金の面で揉めることも少なくありませんが、そういったことは一切なかったのでしょうか?
森氏)全くありませんでした。むしろ近藤さんから「工場や機械は使ってくれ」というありがたい言葉をかけてもらいましたし、以前働いていた職人さんを呼び戻していただき、人員面のサポートにも尽力してもらったんです。営業車も無料でくれたんですよ(笑)。そもそも、当時は「事業承継」という言葉を聞いたことはあったけど、詳しくは知らなかったので、自分としては「事業承継をしているんだ」という意識はなくて。
ただ「たぬきまんじゅうを残したかった」という、ただそれだけの思いでした。おなじく、先代の近藤さんも「まんじゅうを残したい」という一心だけだったので、うまく連携が取れましたし、たくさん手助けをしていただけました。
小野澤)理想的な事業承継の形だと思います。たぬきまんじゅうを中心にして、たくさんの方が円になって解決に取り組めたんですね。
たくさんの人に愛されて、森さん主導のもと復活した”たぬきまんじゅう”とたぬき本舗。森さんは近藤さんに対する恩返しは「売上を伸ばすこと」であると語ってくれました。
小野澤)事業承継の前と比べて、承継後に変わったことや変えたことはありますか?
森氏)近藤さんの頃の販売圏に比べて、大幅に販売圏を広げました。関東圏も視野に入れて、かなり大規模な販路拡大を行ったと思います。新商品のお披露目も兼ねて、商談会や展示会にもたくさん出席しました。
小野澤)大躍進ですね、実際にはどのような変化があったのですか?
森氏)これまでは、愛媛県を中心に販売していました。Web販売もなかったので、全国の方にたぬきまんじゅうをお届けする仕組みがありませんでした。Webでの販売を始めたほか、卸売店との繋がりを通して全国に販路を拡大していきました。
小野澤)なるほど…!先ほどご紹介いただいた新商品について、具体的にはどんな商品に仕上がったのでしょう?
森氏)プレーンのたぬきまんじゅうは小豆あんを白あんでくるんだ一口サイズのまんじゅうです。ただ、新商品を開発するとなって、地域の特産品を盛り込みたいと思いました。愛媛には長い歴史を持つ抹茶があります。特産地は愛媛県高原町。この抹茶を使って新商品を作れないかと思い、町長に協力を頼んでみたところ、快諾していただけました。
それで、さっそく、外側の白あんの中に抹茶を練りこんだ抹茶味のたぬきまんじゅうを開発しました。
森氏)また、あんこと相性がよく、愛媛の特産品である”栗”をあんこに合わせた「必勝たぬきまんじゅう」も開発しました。
森氏)こうして開発した新商品を、先代の近藤さんも喜んで食べてくれているのが嬉しいですね。
小野澤)販路拡大でなにか変わったことはありましたか?
森氏)やはり市場を広げたことで大手との付き合いも増えました。
生産面では法令や衛生管理の観点からみて、工場などを修繕したいと考えるようになりましたが、資金面を考えるとなかなか難しく、手が回せていないのが現状です。
それに、ベテラン職人さんの技を若い職人さんに承継していく必要があるのですが、それが非常に難しいな、と感じています。
(時代的にも)もう師弟関係で従業員を確保するのは難しいんじゃないかと思いますし、製菓の学校を出た若い方々は和菓子よりも洋菓子の方へ行ってしまうので、人材の確保も難しいです。販路拡大を通して、当面の課題も見えてきましたね。
小野澤)最後に、たぬきまんじゅうや、たぬき本舗株式会社のこれからの展望などあれば、ぜひお聞かせください。
森氏)私が惚れ込んだたぬきまんじゅうを、全国の皆さんに食べていただきたいです。
「四国にたぬきまんじゅうあり」と、全国に名を轟かせるのが目標ですね。
小野澤)貴重なお時間とお話、ありがとうございました!
愛媛県で愛されること90余年。変わらぬ味と変わらぬ想い。そして変わりゆくたぬき本舗株式会社様のスタイルを見ていると、事業承継の持つ可能性を再確認させられます。森さんがいなければ、たぬきまんじゅうを食べることはおろか、お店で見かけることもできなかったでしょう。守られて、受け継がれていくものには人の願いや想いが託されていきます。たぬきまんじゅうもまた、多くの方の協力で残された、大切な贈り物の一つ。とっても美味しいので、ぜひご賞味ください。