お父様からブドウ園を引き継いだ「葡萄のかねおく」の奥野氏。事業承継時の苦労や、先代と衝突しながらも斜陽化が進む大阪のぶどう産業を何とかしたいと取り組まれる様々な変革について伺いました。

100年続くぶどう園の事業承継

――まずは、御社の事業概要をお聞かせください。

弊社はぶどう園を営んでいます。1903年(明治36年)に創業し、ぶどうの苗木を販売することからスタート致しました。現在は生食用のぶどうを生産販売するのがメイン事業となっており、加えてワイン用のぶどうを栽培したり、また、一般の方々を招いて農作業を体験してもらう取り組みを行っています。

 

――奥野様が実際に取り組まれた事業承継についてお聞かせください。

農家の長男に生まれ、もともとは会社員として勤めていましたが、事業承継を機に実家へ戻ってきました。会社員として福島県で勤務していた時に、カッコいい農家と出会い、また東日本大震災後の福島で、地域をなんとか復興させたいと活動している若い起業家の方々と知り合いました。

その時に、私も社会的意義のある生き方をしたいと考えるようになりました。そこで私は、実家のある大阪で、斜陽化しているぶどう産業のために何かできないかと思い、ぶどう園を引き継ぐことを決めました。

 

事業承継で感じたリアルな苦悩

――事業承継をしてみてどのような事に苦労しましたか?

これまで農園を経営してきた父(先代)とのコミュニケーションがとても難しかったです。今もそうですが、当時は喧嘩をすることも多々ありました。これは事業承継をされる方にとっては珍しくないことだと思います。

また、農業は他業種と比べて”数値化”が難しいです。例えば、品質の良いぶどうを収穫できた時に、何が起因して質の良いぶどうを収穫できたか明確には計ることができません。「天気が良かったから?栽培方法が良かったから?栽培方法ならどこが効いてるのか?」など、上手くいっても何とでも理由をつけることができますし、たとえ失敗しても明確な原因が分かりません。

後継者としてぶどうを売ることはできても、それよりも前の”栽培”という点でどうしても成果を出しづらく認めてもらいにくい果樹農業は、特に事業承継が難しいと感じました。

 

――事業承継後、実際にブドウ農園を営む中で大変なことはございますか?

実際に果樹農業を営んでみて、とても縛りが多いと感じています。果樹農業はリードタイムが非常に長く、苗木を植えてから収穫までに5年程かかります。投資をしてもすぐに回収することができず、先を見据え長期スパンで考えなければならず、時に思い切りも必要です。そこが運営しながらもどかしく感じています。

また、季節によって忙しさが変わります。夏場の数か月でぶどうを全て収穫するのでその時期はとても忙しいですが、逆に冬場はそこまで忙しくありません。季節によってオンとオフの差が激しいので、なかなか常時雇用ができないこともあります。従業員はおらず、夏場はパートさんにお手伝いしてもらいながら農園を運営しています。また、農業を楽しんでもらうことを目的に「ガチボラ」と題して、農業を実際に体験しながらお手伝いしてもらうボランティアの方々の手を借りたりもしています。

 

――「あの時にああしておけばよかったな。」事業承継をした今だからと感じることはございますか?

就農前に、きちんと就農後の条件についてきちんと親と話しておけばよかったと思います。例えば、「給与面の話」や「何をしたくて農業をするのかといった想い」など、しっかりと話しておけば、就農後とのギャップをもっと埋められたと感じています。

また、経営状況をしっかりと理解しておくことも重要だと思います。私の場合、父は頑固な性格でぶつかることもありますが、しっかりと経営をできていたので、金銭面では苦労しませんでした。

世の中には、労働に対して業績を最大限引き上げられていない農家も多いです。長時間働いても実はあまり利益を上げられていないということを、継いだ後に気づいてしまうことになりかねないので、しっかりと経営状況を把握してリアリティを持ったうえで継いだほうが良いと思います。栽培技術は実際に就農すればいくらでも身に着けることができるので、経営に関することをしっかりと擦り合わせておく方が重要だと考えます。

 

新たなチャレンジ

――100年以上続く御社を後世に残していくために新しい事にもチャレンジしたりしていますか?

様々なことにチャレンジしており、大きな取り組みとしては「自らぶどうを販売する」ことを始めました。贈答用としてぶどうを販売するために、大阪特産のデラウエアからシャインマスカットに品種を変えていっています。もちろん、苗木を植えてからすぐには収穫できないので、時間はかかりますが、将来的に質の高い贈答品として世に出せるよう現在取り組んでいます。

 

また、夏場にお手伝いして頂くボランティアの方々に対して、ただ手伝ってもらうのではなく、農業の技術をしっかりとレクチャーして、お互いwin-winになれるように取り組んでいます。

ガチンコ農作業ボランティア

ぶどう農園「かねおく」の農園スタッフが行っている農作業をガチでお手伝いできるボランティアサービスです。農作業をガチで手伝ってもらうこととなるかわりに、マンツーマン農作業や栽培ノウハウをしっかり伝授します。主には、将来就農を考えている方向けのサービスとなります。

 

――ぶどうの品種変えるなどの変革に取り組むため、お父様(先代)をどのように説得しましたか?

父には話を聞いてもらえず、説得はできませんでした。結局のところ”勝手にやってしまう”か”結果を出すか”、のどちらかだと思います。

農業を手伝い始めてからの数年は「石の上にも三年」という想いで取り組んでいましたが、明らかに結果が出ないやり方だと感じました。今のうちに新たに種まきをしておかないと間に合わないと思ったので、父とも喧嘩しながらも自分にできることは全て取り組んでいます。

もちろん、初めからケンカ腰というわけではなく、しっかりと説明を繰り返して理解してもらうには努めています。また、話していると父の感情もよく分かってきて、40年ぶどうを育ててきた自負もあり、「栽培を始めて5年そこらの若造が何を言っているんだ。」という気持ちは理解できますし、当たり前に湧いてくる感情だと思います。そういう感情は理解しつつも、説得しながら日々取り組んでいます。

 

アトツギ甲子園にエントリー

――中小企業庁と事業承継ネットワーク全国事務局(野村證券)が主催した「アトツギ甲子園」にもエントリーされていましたが、参加しようと考えたきっかけはございますか?

理由は色々ありますが、何でもチャンスを逃したくないという想いが強いです。ぶどう栽培だけでなく、様々なことにチャレンジしたいという想いからエントリーすることを決めました。

 

――実際のピッチの場ではどんな取り組みについてプレゼンテーションしたのですか?

ボランティアの方に作業をお手伝いして頂く代わりに、ぶどうの栽培方法をレクチャーする「ガチボラ」という取り組みを行っています。その取り組みを私だけではなく、全国各地の農家にも使って貰いたいとプレゼンテーションしました。実際に、ガチボラには30人程がお手伝いに来てくださっており、週に何人も来てくださってとても嬉しく、有難く感じています。

大阪のぶどう産業を例にあげると、どの農家も人手不足に困っており、同世代の農業経営者だと、親が引退した時に人手不足になってしまうことを皆さん危惧しています。そんな状況を何とかしたいという想いがありました。

 

また、実際にボランティアの方とお話して、リアルな農業を学ぶ場所も無いということに気づきました。全国に農業大学校はあり、有機農業の広く浅いこと学ぶことはできますが、例えば、ぶどうの栽培をしっかり現場で学びたいと思っても、学べる場所がなく、就農者にとっても間口が少ないことに気がつきました。

であれば、新規就農希望者と農家を結び付けるマッチングする機会を創出することで、農業の人手不足を解消できるのではないかと思い、その想いを「アトツギ甲子園」でプレゼンテーションしました。とてもいい経験となりました。

 

メッセージ

――最後に、事業承継に悩まれている経営者・後継者候補の方へメッセージをお願い致します。

まずはチャレンジして頂ければと思います。どんなに考えても全ての悩みが晴れることは無い思います。先に述べたように、継ぐ前にしっかりと擦り合わせをして準備をすることも大切ですが、ある程度準備ができたら思い切って飛び込んでみることが一番だと思います。是非考えながら走って頂ければと思います。

 

創業明治三十六年 葡萄のかねおく

奥野 成樹 氏

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