大分県別府市で113年続く海地獄を後継者として2014年にUターンされた千壽氏。海地獄の魅力や事業承継後の新たな取り組みについてお話をお伺いしました。
地獄(温泉)を景勝地として楽しんで頂く施設である”海地獄”を管理運営しております。また温泉は自然資産でもあるので、後世に継承できるように保全をしていくことも会社のミッションとなります。海地獄以外では、鬼石坊主地獄、日帰り温泉である鬼石の湯、地獄温泉ミュージアムの運営も行っています。
私は3兄弟の末っ子なので家業の承継については他人事として捉えていました。なので、大学への進学を機に上京して以降は、もう大分には戻ることはないと思っていたのです。そのような中で27歳の時に初めて父から「家業を手伝ってくれ」と言われた時は驚いたのですが、東京での仕事が充実していた為現職を辞めることは考えられず、一度は断りました。ただ、父は70代後半になって年齢的な焦りもあったのか、どこか落ち込んでるような反応を感じて、少し気になってもいたのです。結果的に、海地獄や地元、家族に対する感謝はありましたし、改めて深く考えた上で、少しでも恩返しができたらとUターンを決意したのが29歳の時です。新規創業は企業文化をゼロから築きあげていきますが、老舗企業である海地獄は父が築いた文化が浸透しており、そこにぽっと私が戻ってきて次の社長候補ですと言われても、従業員の心情的にすんなりと認めてもらうことは難しいでしょう。だからこそ、誰よりも行動して実績を作っていく中で少しずつ信頼を得ることができたらと思い、当たり前ですが、がむしゃらに様々なことに挑戦しました。私は2017年に父が急逝したことを契機として代表に就任するのですが、その時は何も分からない中で父や会社の資産を不備なく承継すること、そして従業員を不安な気持ちにさせないように円滑に社業を継続することが求められ、かなり苦しかったことを覚えています。
Uターンした2014年、社内における各種オペレーションはアナログな仕組みになっていて、その点についてはかなり時代遅れと感じてました。東京で6年間働いた経験値を活かせるのはこの分野だと考え、様々な部分で改善を図り、従業員の皆さんにも浸透できるように自ら率先して行動したのです。例えば各種清算においてPOSを導入したり、キャッシュレス決済も可能にし、WEB関連のPRも全て刷新しました。昨今のDX化の速度を鑑みると、当時から地道に着手して良かったと思ってます。また、労務環境を整理することにも注力しました。私は父のようにカリスマ的なリーダーシップはないし、コンプライアンス遵守がより強く求められる現代において従業員が不安なく働くことのできる環境を作ることは重要なので、客観的に合理性のある制度を作ろうと、1年程かけてじっくり練り上げました。社会状況は日に日に変化をしているので、今も尚、必要に応じて改善を重ねております。
金龍地獄が長らく営業を停止している中で、その土地が空くという情報を得た時に、自分も再開発に携わりたいという考えをもちました。ではどのような方向性で再開発を進めていこうかと考えをめぐらせてた時に、Uターンした当初、大分県は豊富な温泉を第一の観光資源と位置づけているのに、温泉に関する情報を発信している拠点が少ないことはもったいないと感じていたことを思い出したのです。そして私たちが運営している地獄めぐりに関しても、そもそもなぜ地獄という言葉が使用されているのかを知ってる人が、別府市民でも多くないと感じてました。私は温泉のことを地獄と呼んできた歴史が、別府の素敵な文化を物語っていると考えています。ポストコロナにおいて、地域の個性を適切に発信していくことはとても重要です。別府の温泉とは、別府の地獄とは、別府の独自性ある文化を楽しく体感できる拠点が地獄温泉ミュージアムです。別府の個性に共感して愛着をもって頂けるきっかけとなる施設に成長させていけたらと思います。
美しい庭園と地獄(温泉)が共存していることです。
温泉は雨が地中でマグマ熱で温められて地上に噴出するものなので、元来は火口の近くに多く存在してました。箱根や雲仙、登別はそうだと思います。そんな中で、別府は地形の特性上、地中への水の浸透が良く、古くから広範囲に熱水が広がり温泉が噴出してました。言い換えれば、人が住みやすい環境のエリア、庭園として整備できるようなエリアまで温泉が噴出してたということです。
また、今は多くの人が愛する温泉も、大昔は地獄のようだと言葉通りに恐れられてました。確かに、何も知らない中で地面から100度近い熱水や噴気が出てたら怖いですよね。別府では特に噴出する温泉が多かったため、どうにかして共存しようと試行錯誤の結果、素敵な温泉文化が育まれ、観光資源にまで昇華しました。
海地獄を青くて綺麗な温泉と、表面的な部分だけ評価されるのではなくて、別府の温泉資源のポテンシャルや、温泉文化のユニークな変遷の歴史を感じとれる景色となるように、様々な発信を続けていきたいと思います。
私は父が急逝してからの承継だったのですが、財務状況や各種資産については保存された資料から理解することができました。ただ、父がどのような想いで約50年間海地獄を経営してきたか、そういった経営者としての理念のようなものは、父の言葉から受け継ぐことはできなかったなと、とても後悔しております。
家族経営だと、社長は上司である一方で、父親としての側面があったりもするので、熱く語り合うのはどこか恥ずかしかったりしました。しかし今となっては、恥ずかしさはとっぱらって、父子で、兄弟で、腹をわって会社の将来について深く議論を続けた方がいいと、強くおすすめします。
そして家業も、従来の領域にとどまらず様々な分野に成長できるように果敢にチャレンジしていってほしいなと思います。というか、私もチャレンジします!未来を作る機会は誰にでも訪れますが、歴史を継続させることは選ばれた人しかできないのですから、家業承継できることに誇りをもって一緒に頑張っていきましょう。
ディレクター/桐谷晃世