三重県伊賀市の実家の農業を承継するとともに、それまでの経験を活かしてファシリテーター業や執筆業を行う個人事業主としても活動し、長期的ビジョンにより社会に価値を還元していく大森雄貴様にお話を伺いました。
業種としては農業で、伊賀米と呼ばれるブランド米を育てて収穫し、それをJAに卸売りする、あるいは販売するといった形になります。加えて、圃場の管理を行っています。
前職としては、場とつながりラボ home’s vi(ホームズビー)という団体に所属していました。
この団体は当時、京都を拠点にまちづくりや企業研修、組織変革などの場で対話の場づくりを実施しており、近年では『ティール組織』をはじめとする新しい組織・経営のコンセプト・モデルの紹介を行っています。私は企業を対象に学びと探求のための対話の場をファシリテーションし、トップダウン型の詰め込みではなく、受けた人が自分で考え、行動できるような場を開きたい、というニーズにお応えしていました。
元々私自身コミュニケーションの問題に関心があり、それ以前には大阪で人材系のベンチャー企業に属していました。
そこでは就職支援であったり、大学のキャリアセンターでセミナーを行ったりしており、そこで人と人との関係をつくる仕事が好きなんだということを強く感じたんですね。
そんなとき、人間関係を円滑にするファシリテーションという仕事が切り口として面白いと思い、「home’s vi」に興味を持ちました。
「home’ vi」は2010年代、ファシリテーションの哲学や手法をまちづくりの現場に紹介し、実践した草分け的存在で、これらの哲学・手法をプロジェクト運営や企業研修などさまざまな場に応用していました。
大阪から京都へ引っ越した際にご縁があり、そこから「home’s vi」に参画することとなりました。
きっかけとしては闘病の末、父が亡くなったことです
実は当時まさにこれから「home’s vi」でバリバリ働いて行こうという時期だったのですが、父が亡くなって三重の家業をどうしようかという話になり、そちらには少々無理を言って家のことにフルコミットさせてもらいました。
そしてこちらの家業であったり家族のケアであったりが軌道に乗ってからは、新たに個人事業主として活動しております。「home’s vi」とは現在、協働相手としてたびたびご一緒しています。
そうですね、将来的に家業を継ぎたいという気持ちはあったのですが、当時はそこまで考えられていませんでした。
父は60代に差し掛かる前に早いタイミングで亡くなってしまって、今は当初予定していた人生設計から10年ほど早まってしまった、という感覚があるかもしれないです。
それでも、父の好きだった景色を守っていきたいと思いましたし、それを病床にあった父に直接伝えた時のことは今も記憶に残っています。
家業を継いだ当時、自分の内面の変化をすごく強く感じていた時期があったことですかね。
父に「自分が田んぼをやっていくよ」と伝えた時や、一度前職を離れるとなった時も、内面には葛藤や迷いがありました。
京都の街中で企業や行政と仕事をしていたところから、田んぼと農機具に向き合う日々に一気に変化しましたから、どうして田んぼや家業を継ぎたいんだろうという自分なりの意義付けをずっと考えていました。
「この選択は正しかったのだろうか?」と言う自問自答の状態です。
そのときに助けられた考え方として、近年になって日本に入ってきた「ソース原理」という考え方があります。
人はだれしも本来的に創造的に生きることができるソース(創造の源)であるという前提のもと、思い描いたアイデアを実現するために一歩リスクを取って行動を始めた人、その役割を担う人のことをソースと呼びます。
この観点から考えてみると、自分も家業にとっては新たな一歩を踏み出したソースなんだと感じられて、それが自分の考えや行動を意義付けをする上で、とても参考になりました。皆さんもよかったら調べてみてください。
新しいチャレンジというと、農業の一連のプロセスのマニュアル化がありますね。
うちの農業はこれまで家族経営だったのですが、これまで通りのやり方では持続可能ではありませんでした。新しく外から協力者を募るに当たって、父親や祖父しか知らなかったことがたくさんあると分かったんです。
なので後継ぎとして母や祖母からも情報を集めながら、任せられるところは外部の人に共有し、分担できるような体制作りを新たに始めました。
米づくりを継いでから感じるのが、うちの家業は「ただ米を育てて販売するだけの事業ではない」ということです。
たとえば我が家の田んぼの奥には神社があって、この土地を守っていくことは地元の環境であったり風景であったりを守っていくことにも繋がっているんです。
そうして私の友人にも「この景色素敵だね」と言ってくれる人がいたりして、僕の大好きな故郷である三重県伊賀市のことが広まっていく、それに貢献できる人がすごくうれしいんですね。
ですからこれからの展望としては、伊賀市に間接的に関わってくれる人たち、いわゆる関係人口を増やせるように努めていきたいです。
現在はhome’s vi時代に培ったものを私なりに再解釈して、引き続きファシリテーターとして活動しています。また、最近では書籍の翻訳協力や専門誌での連載、企業の変革事例のケース作成などの活動にも取り組んでおります。
コンセプトとしては「人と組織のポテンシャルを発揮させる」ことを大事にし、全国各地に業務改善や人間関係の円滑化などを目標として知見を提供しています。
どんな人や組織にも、素晴らしいポテンシャルやその人にしかない価値というものが存在すると思います。
ただ日々の業務で忙殺されてしまうと、プロジェクトや組織の本分を忘れてしまうこともあるでしょう。
そんなときに自分たちには今まで見てこなかった価値があるのではないか、ということに気付いていただける、その助けができたとき、ファシリテーターとして最高のやりがいを感じます。
これまでの事業を発展させていくのはもちろん、大事なのはどんなパートナーと協力していくかということだと思っています。
世間に色んな仕事があるなかで、志や熱い思いがあり、そうした感覚を大事にしている人と一緒に仕事していきたいですね。
もう一つは抽象的な話になりますが、長い時間軸を持って社会に価値を還元していくような、そんな組織を育てるお手伝いをしていきたいです。
事業承継した農業をしていると、作業の中で我が家の田んぼの奥に佇む神社の社叢が見えます。
この社叢は私たちの家族や地域の人々の世代交代を見守り続けており、私が応援する事業や組織もこの社叢のように世代を超えて愛されたり、価値を届けられるようなそんなものに育っていってほしいと願っています。
後継ぎである、事業の後継者であることは、それこそ家族としての私的な関係と、仕事上の上司と部下としての公的な関係が入り混じってしまうこともあり、とても大変なことだと思います。
そうなったとき、自分は本当はどうしたいのか?「事業を継ごう」と思った時、何が自分をそうさせるのか?という自分の内面の奥深く……ソースの部分を振り返ってみると、あなたにしかない答えが出てくるのではないでしょうか。
たとえ業界や業種が違っても、同じ時代を生きる後継ぎは、似通った境遇を共有できる仲間だと思います。同じ後継ぎとして、一緒に頑張っていきましょう。