淡路島で60年以上の歴史を持つ仲田青果。玉ねぎの一大産地として知られるこの地で、三代目として新たな挑戦を重ねている仲田一平さんに、事業の歩みと後継ぎとしての思いを伺いました。
現在の事業は大きく2本柱で成り立っています。1つは自社で行うタマネギを中心とした野菜の生産、もう1つは地域農家から仕入れた野菜の卸売です。
祖父の代には主に運送業に近い形で、淡路島の玉ねぎを自らトラックで関西圏まで届けていたと聞いています。その後、貯蔵庫などの設備を整え、卸売業としての体制を確立。父の代ではさらに自社生産に力を入れ始め、私がUターンして加わってからはブランディングや販路の開拓にも取り組み始めました。生産と卸売、それぞれの強みを活かしながら地域とともに歩んでいます。
淡路島での玉ねぎ栽培の歴史は約130年と比較的新しいですが、現在では北海道に次ぐ全国2位の生産量を誇る一大産地となっています。
その理由のひとつが「気候」。冬でも温暖で日照時間が長いため、玉ねぎの生育にとって理想的な環境が整っています。さらに島の農家は伝統的に「三毛作(さんもうさく)」という農法を取り入れており、田んぼで米を育てたあとにレタス、そして玉ねぎと、1年に3種の作物を栽培する独自のサイクルが根付いています。
「淡路島いち玉ねぎ」と名付けた私たちの玉ねぎは、野菜ソムリエサミットで2年連続金賞を受賞しました。甘みが強く、糖度は10%を超えることもあり、フルーツのようだと表現されることもあります。
父はよく「玉ねぎの表情を見る」と言います。肥料や水の状態、病気の兆候を読み取って適切に管理する。玉ねぎは育成期間が10ヶ月と非常に長く、病気にも弱いため、日々の観察と手入れが欠かせません。その丁寧な管理と、淡路島の自然条件が合わさって、甘くてみずみずしい玉ねぎができるんです。
まずは「仲田青果の価値を最大化したい」と考え、ブランディングに力を入れました。
「淡路島いち玉ねぎ」というネーミングで商品に物語をつけ、SNSやコラムを通じて情報発信を行っています。食べチョクや楽天などECサイトへの出品も進め、消費者との直接の接点が増えたことで、リアルな反応が返ってくるようになりました。「玉ねぎの概念が変わった」「フルーツみたい」といった声をもらえると、本当に励みになります。
SNSやコラムを通じて、農業の裏側や玉ねぎの面白さを伝えることは、自分たちの価値を見つめ直す良い機会になっています。農家の世界には暗黙知が多く、マニュアル化されていない“勘”や“経験”が重要です。私自身も、父の作業を間近で見て学びながら、それを言語化して発信しています。中には当たり前に感じていたことが、外から見れば新鮮に映ることもあり、そのギャップが面白いと感じています。
まだ完全な引き継ぎの段階ではありませんが、最近は定期的に父とミーティングを行うようになりました。お互い忙しい中で、仕事以外の時間に意識的に会話を持つことで、少しずつ理解や共有が深まってきています。
また、自分の中で仲田青果のMVV(ミッション・ビジョン・バリュー)を作成し、会社の方向性を見える形にすることにも挑戦しました。これは父と作ったというより、私なりにこれまでの歴史を整理し、これからの指針を自分なりに言語化したものです。
自分自身のスキルアップはもちろんですが、仲田青果という事業体としても地域から必要とされる存在であり続けたいと考えています。特に、高齢化で離農する農家が増える中、生産面を担う役割も果たせるようになりたい。仲田青果の強みを生かしながら、地域農業を支えるプレイヤーとして責任を持って動いていきたいです。
アトツギという立場は、予想外の連続です。でも、その想定外をどう楽しむかが大事なんじゃないかと思っています。唯一無二のポジションだからこそ、自分にしかできないことがある。
悩みながら、もがきながら、でも前向きに挑戦する。それが後継ぎとしての醍醐味だと思います。