畳業界に“革命”を起こす三代目|「有限会社伊藤畳商店」

創業のきっかけについて教えてください。

 祖父と祖母が立ち上げたのが始まりです。祖母の実家が「加藤畳店」という老舗で、祖父はそこに修行に行き、独立して名古屋で開業しました。祖父は非常に変わった経歴の持ち主で、豊田市が本流で、家系図は700年残ってますので古い家柄です。

 89歳までゴルフをしていて、一度歩けなくなったのですが91歳の今でもトレーニングをしてゴルフの再起をはかっています!

現在三代目とのことですが、事業の変遷についても教えてください。

 創業当初はリヤカーで個人宅に畳を届けるような、完全な個人相手の商売でした。父が20歳頃に戻ってきてからは、襖や内装も手がけるようになり、業務が多角化。その頃には祖父が畳製造を半自動化していたこともあり、大量生産体制を確立し、官公庁向けの仕事へと大きく舵を切りました。官公庁の畳屋内装工事を一手に担うようになり、以後40年ほど官公庁向けが売上の大半を占めていました。

 私が家業に戻ってからは個人のお客様にも力を入れ始め、現在は売上の1割以上が個人向けとなっています。

個人顧客へのシフトは、どのような変化から起きたのでしょうか?

 元々は官公庁からの受注が売上の98%を占めていましたが、入札や膨大な書類作業に加え、単価の低さやリスクの高さを感じていました。

 個人顧客の方が単価も利益率も高く、WEB経由で自動的に見積もり・受注ができる仕組みも構築したことで効率が非常に良い。LINEやチャットでの見積もり対応も導入し、今では主に30代の若い世代を中心にモダン畳などのニーズも増えています。

施工対応エリアや集客方法についても教えてください。

 対応エリアは愛知・岐阜・三重の東海3県に限定していますが、HP経由で全国から問い合わせが来ます。

 月に1〜2万PVを超えるサイトを持っており、SEOのみで集客できているのが強みです。徳島など遠方からの依頼については、信頼できる畳店を紹介するなど、ネットワークを活かした対応をしています。ここまでの仕組みを整えるのに半年かかりましたが、今では年間数千万円の売上が自然発生しています。

どんな施工が中心ですか?

 修繕がメインですね。畳や襖の新築施工は全体の中でも数%程度。特に畳は表替えと呼ばれる表面の張替えや、芯ごと交換するフルリフォームが一般的です。年間で約9000畳、襖は1万本以上を扱っており、量産と品質の両立に強みがあります。

 建築士や施工管理技士の資格を持つ家族が揃っており、建設業許可を持つ数少ない畳屋として、施工の幅と精度には自信を持っています。

畳業界のトレンドや、自社ならではのこだわりを教えてください。

畳表には天然素材(い草)と、和紙や樹脂などの科学表があります。うちは後者をメインに扱っています。い草は風情がある反面、日焼けやダニの問題が大きく、メンテナンスも手間。そこで私が開発したのが「カキ殻を混ぜた樹脂畳」です。

私が創業した、代表理事を務める会社にて、養殖カキの殻を洗浄・粉砕して炭酸カルシウムを抽出、それを畳素材に練り込みました。耐久性に優れ、日焼けもせず、40年以上持つ新素材。しかもコストは従来の1/30。安くて丈夫で、おしゃれな畳を提供できることが、今の私たちの大きな武器です。

オートメーション化も進んでいるそうですね?

 はい。畳業界はまだまだ手作業が中心のところも多いのですが、うちは早くから自動化を取り入れてきました。今では1日に100枚の畳を縫える体制があり、他社の4〜5倍のスピードと品質を実現しています。

 27歳の若手職人が4人在籍していて、作業も速い。現場で引き上げた畳を持ち帰り、機械で一気に仕上げる。品質検査の厳しい官公庁案件にも通用する精度を担保できるのは、こうした体制のおかげです。

家業を継ぐ前はどんなご経験をされていたのでしょうか?

 大学卒業後は、外資系のゴルフ場運営会社に就職し、群馬・千葉・東京と転勤を重ねながら楽しく働いていました。ただ、ある時親から「お前には継げないから絶対戻ってくるな」と言われ、その言葉がずっと引っかかっていて…。逆に「継がないといけないのでは?」という気持ちが芽生えました。

 実は幼稚園の頃から「いつか継ぐかもしれない」と考えていたので、畳の世界で成功するために必要な経験を逆算して積んできました。大学ではゴルフ部に入り、人脈づくりや将来の仲間集めを意識して行動していました。振り返ると、かなりストイックに、幼い頃からコツコツと準備を重ねていたと思います。

 あの「継がせない」という一言が、結果的に反骨心に火をつけて、実家に戻るきっかけになりました(笑)。

 実は、うちの家族では兄弟3人とも「家業は継がなくていい」と言われていたんです。それでも私が最初に戻り、次男は起業、そして三男も後から家業に加わることに。家族内では何度も衝突し、プレゼン資料を破られたり、祖父母まで巻き込むような壮絶な対立も経験しました。

壮絶な家庭内対立をどう乗り越えたのでしょうか?

 精神的にかなりきつくて、実際に2回うつを経験しました。当時は子育て中でもあり、心も身体もボロボロ。

 そんな中で自分のやれることを模索して起業したのが、島根県の離島で始めた水産加工業でした。漁師たちと連携してアワビや魚を卸し、塩を製造し、今ではミシュラン店とも取引しています。補助金を活用した設備投資や、炭酸カルシウムの活用もそこから始まりました。この経験が、今の家業改革にもつながっています。 

ナノバブルなど、他にも多様な取り組みをされていますね?

 ナノバブル水を使って魚の鮮度を延ばす技術を開発し、これをカキ殻の洗浄にも応用しています。これまで高コストだった洗浄を、水と電気だけで済ませられるようになり、カキ殻の素材利用が現実的に。環境負荷を減らしつつ、廃棄物から価値を生み出すSDGs的視点も意識しています。ナノバブルというと怪しがられることもありますが、実績と科学的なデータをもとに信頼を積み重ねています。

伊藤畳商店としての強みをあらためて教えてください。

 まずは“圧倒的な生産力”です。畳、襖、障子、クロス、大工工事まで一気通貫で対応できる畳屋はほとんどありません。官公庁の厳しい検査基準をクリアし続けてきたことで、品質への自信もあります。さらに、若い人材を育成し、オートメーションによってスピードとコスト競争力も確保。技術・人材・経営力の三拍子がそろった、いわば“製造業としての畳屋”を目指しています。

事業承継に向けて現在取り組んでいることはありますか?

 正式にはまだ父が代表で、私は取締役です。

 ただし現場では意思決定の多くを任されており、ほぼ承継フェーズには入っています。現在は補助金を活用して設備投資を積極的に進め、自分の代で再投資が不要なように地盤を固めている最中です。

 また、社内(私が経営陣として在籍する畳店以外の会社)には22人ほどの若手スタッフやインターンが在籍していて、マーケティングや企画、補助金申請を通して若者が力を発揮できる環境づくりにも力を入れています。

今後の展望について教えてください。

 正直に言えば、将来的には自分の役割が終わったら事業承継もM&Aも含めて選択肢に入れています。畳業界は今後縮小していく産業ですし、SNSなどで誤情報を流す業者も増えています。

 だからこそ、誠実な価格と品質で“本当にいい畳”を提供し続ける。畳屋がここまでやれるんだ、という姿を見せて他の後継ぎたちにも勇気を与えられたら嬉しいです。

最後に、アトツギへのメッセージをお願いします。

 「まずは起業しろ」。これが私からの一言です。事業を一から立ち上げた経験があれば、家業を継いでもブレませんし、逆に継がなくても食っていける自信になります。家業を超える成果を出してからがスタートライン。それくらいの気概を持ってほしいですし、実際それが一番学びになります。

事業承継ラボ

日本は大廃業時代に突入するとも言われ、 「事業承継」をいかにうまく行うか。そして、次の世代交代で新たなチャレンジを「IT」と「マーケティング」を活用して実施していく必要がある。 そんな、チャレンジングな強い日本企業の成長を支えて行きたいと考えています。 Facebook URL https://www.facebook.com/jigyoshokeilabo/ Twitter URL https://twitter.com/jigyoshokeilabo