長野県白馬村でグランピングやプライベートサウナを軸に、宿泊業の新たな挑戦を続ける「有限会社ぴー坊」。大学在学中に家業を継ぎ、コロナ禍という逆境の中、柔軟な事業転換を進めた三代目・大塚氏に、その軌跡と想いを伺いました。
有限会社ぴー坊は、僕で三代目になります。もともとプチホテルやペンションをやっていて、僕が会社を継いだのは4年前、ちょうどコロナが始まったタイミングでした。宿泊業としてはその後、二度大きく形を変えていて、最初は白馬高校の全国募集に伴い寮の代わりとして高校生の下宿を受け入れました。その後、旅行需要が戻ってきた頃にグランピングやサウナへ事業転換しました。テニスコートも全部潰して、そこをグランピングに変えた感じですね。単なる宿泊施設ではなく、白馬の自然を生かした体験型の宿を目指しています。
祖父が会社を作ったとき、父(善弘)の名前から「ひーちゃん」みたいなノリで、ぴー坊ってつけたんです。深い意味はなく、家族的な愛称みたいなものですね。実際、地元の人にも覚えやすいし、ちょっとユーモラスな響きが気に入ってます。
いや、意図して取ってないです。正直、インバウンドに合わせたサービスは難しいんですよ。言語対応やハード面、例えばベッドのサイズや生活導線まで考え直さないといけないし、長期滞在になるとその分、生活要素も強くなる。日本人なら気にならないことも海外の方には違和感が出る部分も多いです。それに、白馬がニセコ化していくのはちょっと嫌で。地元の定食屋さんや昔ながらの旅館が潰れて、跡継ぎもいない。それを助長したくない気持ちも強いです。
父の体調が良くなかったのと、僕自身やりたいことがなかったからです。大学4年間で「こういう仕事がしたい」って思えなくて。朝の満員電車の時にふと思ったのが社会に埋もれていくのは嫌だと思いました。あと、4兄弟で後継は誰が行うかと言った話し合いをした時に自分が一番思いが強かったということもありました。
全然。僕は4人兄弟の2番目で、長男が継ぐ流れでしたから。まさか自分がって感じでした。でも状況が変わって、いざ自分の将来を考えたとき、「やってみるか」ってなったんです。
いや、そのタイミングは何もしてなかったです。数ヶ月お客さんゼロ、宿として完全に止まってました。だから一から考え直す必要があったんですよね。
家族との関係と、舵取りですね。若造扱いされるし、本人はやれると思ってるしで衝突も多かった。特に父が「まだ完全に継がせてない」みたいなプライドを持ってたんだと思います。お金もない中で、必要なものとそうでないものをどう選ぶかで毎日ぶつかってました。
社長という立場はあるけど、独断は良くない。だからルールを決めて、みんなで話し合う場を持ちました。半年くらい経つと下宿の子たちが来て、団体客も少しずつ増えて、経営が少しずつ回り始めて、ようやく落ち着いてきた感じです。
白馬高校出身という地元の繋がりが強みでした。先生や関係者に声をかけてもらって、下宿の受け入れが始まった。そこから企業研修や長期滞在プランも模索したけど、やっぱり安定しなかった。結果的に下宿とグランピングへのシフトが一番現実的でした。
家族とのコミュニケーションですね。家族だからこそ、言い過ぎたり誤解が生まれる。でも早めに準備や話し合いを進めておけば、お互いの負担も減るし、結果的に良い方向に進めると思います。
人との距離感を大切にしてます。コロナ禍で人と会えない時代になって、関わる人をより大切にしようと思った。あとは、お金の使い方にも慎重になりましたね。無駄を省いて、限られたリソースでいかに成果を出すかを考え続けました。
川でテントサウナを体験したのが最初です。そこから「サ道」の制作者と出会い、サウナが文化としてどう広がっているかを学びました。愛がないサウナ施設も多くて、自分がまずサウナ好きになり、ユーザー目線で細部までこだわってます。ロウリュや水風呂の動線、休憩スペースまで徹底的に考え抜いてます。
料金は以前の約6倍、一泊3万円ほどになりました。単価が上がっただけじゃなく、地域の人からも「面白いことやってるね」と声をかけてもらえるようになったし、クラウドファンディングでも多くの支援をいただきました。地元で存在感を持てるようになったのは嬉しいです。
大学で東京に出て、地元に戻ったら同世代の仲間がいなくて寂しさを感じた。でもそれって、白馬に若い人が働きたくなる環境がないからだと思ったんです。だから、自分の会社を通して面白い働き方や、地元に根付いたチャレンジができる場所を増やしたい。副業OKにしたり、スタッフのアイデアを形にできる場を作っています。
サウナと宿を軸に、「この宿に行きたい」と思ってもらえる場所をもっと増やしたい。白馬村は今、建築ラッシュで資本の殴り合い状態。でも僕は、体験やサービスで差別化したい。現在、白馬村から30分ほどの別エリアでM&Aも計画中。そこでモデルを作って、次は長野県全体、いずれ全国へと広げていきます。白馬発の新しい宿の形を、もっと多くの人に届けたいと思ってます。