M&Aや事業再編といった組織の大きな変革は、時に「外科的手術」に例えられます。会社の形を物理的に変えるその手術を成功させるためには、法務や財務・税務といった高度な専門知識が不可欠です。
しかし、その手術を受けるのは「生身の人間」です。 経営者、後継者、そして従業員。関わる人々の「心」が置き去りにされたまま手術を断行すれば、術後の組織はうまく機能しません。
今回インタビューにお答えいただいたのは、IT関連企業で法務のスペシャリストとして活躍する傍ら、行政書士、キャリアコンサルタント、そして事業承継士として個人活動を行う辻千恵子氏です。
大企業でのM&Aや組織再編の最前線で「外科的手術」に立ち会い続けてきた辻氏が、なぜ「人の心とキャリア」に寄り添う資格を取得し、事業承継の支援に乗り出したのか。 ご自身の「親の死」という原体験も交えながら、事業承継における「対話」と「情報の整理」の重要性について、深く、そして温かく語っていただきました。
私は現在、IT関連企業の法務部門で、企業法務の仕事に携わっています。前職のメーカー時代も含めると、法務と経営企画の領域で20年以上のキャリアになります。
本業の傍ら、個人としての活動も行っています。具体的には、「行政書士」「キャリアコンサルタント」、そして「事業承継士」という3つの資格の顔を使い分けながら、事業や人生の「これから」をどうするか、その意思決定のサポートや前段階の整理をご支援しています。
一番古いのは「行政書士」で、実は学生時代に合格していました。ただ、行政書士は開業登録が必要なので、そのまま企業に就職して長らく“眠らせて”いたんです。
その後、社会人として長く法務や経営企画に携わる中で、2年前に「国家資格キャリアコンサルタント」の資格を取得しました。 そして、自分の歩んできた「法務のキャリア」と、人の心に触れる「キャリアコンサルタントの領域」を掛け合わせた支援がしたいと考え、直近で「事業承継士」の資格を取得し、行政書士の登録も行った、という順番ですね。
前職の経営企画時代から、M&Aやグループ再編、新規法人の立ち上げといった、組織の大きな変革プロジェクトに数多く携わってきました。
事業承継やM&Aには、法務や財務・税務、人事といった高度な専門スキルが必要です。これらは、例えるなら組織に対する「外科的手術」のようなものとも言えます。会社を分割したり、組織の輪郭をぐいっと変えたりするわけですから。
そのプロジェクトを進めるプロセスで、何度も目の当たりにしてきたことがあります。 それは、「人が納得して、想いを自分ごと化しないと、どれだけ完璧な計画を作ってもうまくいかない」という現実です。
経営陣の思惑と現場の感情のズレ、変わることへの不安や葛藤。そういった「人の心の機微」に触れる機会が非常に多い領域でした。 だからこそ、人の想いをしっかり受け止め、その人の人生やキャリアのあり方と向き合うためのスキルが必要だと痛感しています。外部環境の変化があっても、一人ひとりが納得感を持って自律的に個人や組織の在り方を決定し、切り拓いて行くがあるという思いが、キャリアコンサルタントの資格取得にも繋がりました。
はい。株式譲渡のように外見は変わらなくとも親が変わるケースもありますし、会社分割のように組織を切り出して人格そのものが変わってしまうようなケースもあります。これを「外科的手術」と表現しています。
M&Aは企業と企業、人と人が交わる行為ですから、必ず「痛みを伴う」というか、働く人々にとっての“激変度合い”が非常に大きい出来事です。 だからこそ、手術台に乗るにあたり、経営者や従業員の心と向き合い、不安を取り除く対話のプロセスが絶対に欠かせないと考えています。
資格取得後、土日などの休みを利用して、1年ちょっとで延べ100名以上の方の対面相談(面談)をさせて頂きました。
相談者の方の属性は様々で、仕事と介護・育児の両立に悩む方、転職先でうまくいかず定着に悩む方、長らく個人で事業を営んでこられた現役の経営者、前線を退かれた元経営者の方など、幅広くお話を伺ってきました。 最近では、事業承継の領域に近づけて、「親が事業をやっているのだけれど、このまま放っておいていいのだろうか?」と悩む後継者世代の方や、経営者がご自身のキャリアに関連して、今後会社をどうするかに関するご相談も増えてきています。
ご相談者様が「ご自身で納得感を持って決める」ための立ち位置を崩さないことです。
例えば、長年事業をやられてきた経営者の方は、立場上、身近な方に弱音を吐くことができません。そういった方の想いを、時間をかけてじっくりとお伺いする。 また、親御さんが地元で事業をしているものの、実家を離れて別の仕事を持っている世代の方であれば、「自分には自分のやりたいことがある」という本音を尊重しつつ、どうすれば親も自分も納得できる着地点を見つけられるか、その整理をお手伝いする。
1回の対話で方向性を見出す方もいらっしゃれば、複数回対話を重ねて少しずつ解きほぐし、情報整理していく方もいらっしゃいます。ケースバイケースですが、その方の人生の歩みを共有していただけるこの仕事は、非常に尊く、やりがいがあると感じています。
はい。今から12年前、実家で細々と事業を営んでいた父が、病気で急に亡くなったんです。
家族間での事業に関する詳細な情報共有は全くされていませんでした。そのため、残された母が急遽事業を引き継ぐことになったのですが、それはもう大変な状況でした。 情報がないので何がどうなっているのか分からない。でも、誰かが立たないと事業が止まってしまい、関係者に迷惑がかかってしまう。なんとかその場は乗り切りましたが、母の精神的な負担は相当なものでしたし、家族間のコミュニケーションやサポートのあり方にも大きな課題が残りました。
さらに後になって、父のさらに上の世代が残していた「休眠会社」の存在が発覚したんです。 ある古い建物を処分しようとしたところ、休眠会社が建物を保有している 状態で、「これ、誰にどう聞けばいいの?」という状態から始まりました。親戚を辿って情報を集めたり、休日には、実家に残されていた数十年前の設立書類や議事録、株主名簿等を辿ると、すでに株主が亡くなっていたりして。 株主総会で清算人を選定し、資産処分と清算を進めようとするも、まず相続手続きをしないと株主総会決議すらできないという現実に直面し、苦労しました。
この経験から、「現実から目を背けずに、みんなが元気なうちに、想いと情報の整理・共有をしておくこと」がいかに大事かを、身をもって学んだのです。
経営者の方は常に未来に向けてご尽力されていらっしゃるので、現状の整理の優先順位が下がってしまうのはよく分かります。
しかし、いざという時に家族や従業員を守るためには、やはり「文書化して残す」習慣が不可欠です。 契約書などの法的な文書をしっかり作ることはもちろん大切ではありますが、「なぜその決断に至ったのか」という“経緯”が分かるメモや会議の議事録を残しておくだけでも、後から引き継ぐ人の苦労は全く違ってきます。
最近はAIなどの便利なツールも普及していますから、そういったテクノロジーもうまく使いながら、こまめに情報を文書化してストックする習慣をつけていただきたいですね。それだけで、将来救われる人が必ずいます。
ご自身の将来の選択という個人のキャリアを考える入り口から入り、実際に必要な情報の整理を行い、そして具体的な意思決定に至るまでを、一気通貫で伴走できる存在になりたいと考えています。
想いと情報の整理ができれば、必ず「オプション(選択肢)」が出せるようになります。 自分が継ぐのか、社内の方に任せるのか、第三者にM&Aで引き継ぐのか、あるいは資産・負債を整理しながら事業を閉じる(廃業する)のか。 そういった複数の選択肢の中から、ご相談者様が最も納得できる道を選べるよう、丁寧にサポートしていきたいです。
はい。「会社」という組織の存在も私は大好きなんです。一人ではできないスケールの仕事を、目的を共有した仲間と力を合わせて成し遂げる。そのダイナミズムは企業ならではの魅力です。 企業内での経験を活かしつつ、個人として形にできる支援はどんどんやっていく。そんな働き方を続けていきたいですね。
30代、40代になり、ご実家から離れて暮らしている方の中には、「うちの実家の事業、この先どうするんだろう?」「このまま放置しておいてよいのか、自分に影響があるのだろうか?」と気になり始めている方も多いと思います。 しかし、我々の世代になると、親御さんと腹を割ってコミュニケーションを取る機会は、実はそれほど多くありません。
「親にどう話を切り出せばいいか分からない」「自分の考えがまとまっていない」という段階でも全く構いません。思考の整理や、円滑なコミュニケーションの取り方といった入り口の部分からでも、お気軽にお声がけいただきたいです。
私自身、父が急逝して十分な親孝行ができなかったという強い心残りがあります。 だからこそ皆さんには、「お互いの時間が元気に重なり合っているうちに」、しっかりと対話をしてほしいと願っています。 事業承継という大きな文脈だけでなく、「親と子のキャリア相談」という形でも、喜んでお話を伺います。
企業法務という、ロジカルで厳格なルールが求められる世界に身を置きながらも、辻氏の言葉の端々からは「人への深い思いやり」と「温かさ」が溢れていました。
「事業承継の相談」と構えると重くなってしまいますが、「親のキャリア、自分のキャリアの相談」と考えれば、少しハードルが下がるのではないでしょうか。 実家の行く末に漠然とした不安を抱えている後継者候補世代にとって、話を「聴き」、想いを「整理」してくれる辻氏のような伴走者は、暗闇を照らす灯台のような存在になるはずです。
行政書士 / 事業承継士 / キャリアコンサルタント
大学在学中に行政書士試験に合格。卒業後、メーカーにて法務および経営企画に従事し、M&Aやグループ再編などのプロジェクトを数多く経験。その後、IT関連企業に転職し、引き続き企業法務の第一線で活躍中。 組織再編の現場で「人の心」の重要性を痛感し、国家資格キャリアコンサルタントを取得。約1年で延べ100名以上のキャリア相談を実施する。さらに事業承継士の資格も取得し、自身の「親の急逝による突然の承継」という原体験を活かし、経営者や後継者の想いと情報の整理、意思決定を一気通貫でサポートする活動を行っている。