創業48年、地域エネルギーで「強い田舎」をつくる|株式会社アズマ

建築板金から再生可能エネルギーへ。地域とともに歩んできた株式会社アズマ。専務取締役・中島勘太郎さんが語る、事業承継の決断、経営の転換点、そして「地域で生きる選択肢」を残すための挑戦とは。

まず、株式会社アズマと中島さんご自身について教えてください。

株式会社アズマは、建築板金や屋根工事を祖業としながら、現在は再生可能エネルギー、とくに太陽光発電を中心に事業を展開しています。私は専務取締役として、再エネ事業の立ち上げや企画、経営企画、財務管理などを横断的に見ています。

会社として大切にしているのは、「強い田舎をつくりたい」という考え方です。目先の利益だけでなく、地域やお客さんにとって少しずつ良い変化を積み重ねていく。その積み重ねが、結果的に会社の信頼や持続性につながると考えています。

太陽光発電事業を、どのような位置づけで取り組んでいるのでしょうか。

太陽光は、単なる設備販売の商材ではなく、「地域のエネルギーをどうつくるか」という視点で捉えています。電気は誰もが当たり前に使っていますが、その対価として支払われるお金は、多くの場合、地域の外へ流れてしまっています。

もし地域で電気をつくり、地域で使い、その価値が地域に循環する仕組みをつくれたら、地域経済はかなり強くなるはずです。私たちはその第一歩として、地域の中にエネルギーを生み出す機能を増やす役割を担っていると考えています。

会社の創業と、これまでの変遷について教えてください。

 創業は1978年で、祖父の代から始まりました。もともとは建築板金がメインで、当時流行していた太陽熱温水器の販売・施工も行っていました。本格的に太陽光発電に取り組み始めたのは1999年頃です。
大きな転換点は、2代目である父の時代です。職人の生活を守りたいという思いから、「自分たちで稼げる仕事」を模索し、太陽光という新しい事業に挑戦しました。この判断が、今の会社の基盤をつくったと思います。

「地域」という言葉が、インタビューの中で強く印象に残ります。原点はどこにありますか。

 原点は、祖父の存在です。祖父が亡くなったのは、私が小学4年生の時でしたが、葬儀には本当にたくさんの地域の方が来てくださいました。子どもながらに、「この人は地域の中で生きてきたんだ」と強く感じたのを覚えています。
また、リーマンショックなど会社が厳しい時期にも、支えてくれたのは地域の仕事でした。その経験から、会社は地域があってこそ成り立つ存在であり、地域に必要とされなければ続かない、という価値観が自然と根付いていきました。

中島さんご自身は、もともと家業を継ぐ予定だったのでしょうか。

正直に言うと、まったくありませんでした。家業に戻れと言われたこともなく、自由に好きなことをやらせてもらっていました。大学卒業後はオーストラリアに行き、その後は飲食業界で東京やニューヨークで働きました。
海外で、ゼロから人間関係をつくり、仕事をつくっていく経験がすごく楽しかったんです。その一方で、自分を育ててくれた地元に、いつか何か恩返しがしたいという気持ちは、ずっと心のどこかにありました。

家業に戻る決断のきっかけは何だったのでしょうか。

コロナ禍で仕事が止まり、自分の人生を見つめ直す時間ができたことが大きかったです。そのタイミングで、父と新橋のスターバックスで会い、「帰ってこないか」と声をかけられました。
以前から会社の動きは見ていて、「強い田舎をつくりたい」というビジョンや、地域エネルギーへの取り組みが、自分の価値観と重なっていると感じていました。この会社なら、自分がやりたい挑戦ができる。そう思えたことが、決断の後押しになりました。

家業に戻って、最初に直面した大きな壁は何でしたか。

戻ったタイミングで、業績がかなり落ち込んでいたことです。太陽光のブームが下火になることは分かっていましたが、次に何で売上をつくるのかが見えていませんでした。
また、飲食業界では毎日売上という形で成果が見えますが、こちらでは自分の仕事の価値がすぐに数字として表れない。そのギャップに戸惑い、「自分は会社に何をもたらせているのか」と悩む時期もありました。

その状況の中で、特に手応えを感じた取り組みは何でしょうか。

まず取り組んだのは、社内の仕組みづくりです。使われていない高額なシステムを見直し、工事業務に特化した管理システムを導入しました。また、太陽光を「売電」ではなく、「電気代削減」「脱炭素」という文脈で提案する体制を整えました。
電力使用データを分析し、補助金申請や自治体提案につなげることで、仕事の幅が広がり、少しずつですが会社に貢献できている実感を持てるようになりました。

やめスマ研究所など、地域活動にも力を入れています。その背景は?

地域や自治体の方々が、もっとフラットに地域の未来を語れる場が必要だと感じたからです。脱炭素という追い風はあるのに、立場の違いから本音で話せない場面が多い。

だったら、楽しく話せる場を自分でつくろうと考えました。最初は完全に手探りでしたが、多くの方に協力してもらいながら、地域の対話の場として少しずつ育ってきています。

アトツギ甲子園への挑戦には、どんな思いがありましたか。

 専務に就任したタイミングで、家業に本気で向き合っている姿勢を、社内外に示したいという思いがありました。地域エネルギーから生まれる価値を、子どもたちや地域に還元する仕組みを描き、それを言葉にして伝える挑戦でもありました。
電気は目に見えませんが、その価値が地域の未来につながっていることを、分かりやすい形で示したいと考えています。

最後に、これからどんな会社・経営者を目指していきたいですか。

 「地域で生きる」という選択肢を残したいです。地域に仕事があり、親が働き、稼げることは、子どもたちの未来に直結します。
会社は、地域を良くするための挑戦ができる場所だと思っています。自分自身も挑戦し続けながら、社員や若い人たちが思い切りチャレンジできる会社をつくっていきたいですね。

事業承継ラボ

日本は大廃業時代に突入するとも言われ、 「事業承継」をいかにうまく行うか。そして、次の世代交代で新たなチャレンジを「IT」と「マーケティング」を活用して実施していく必要がある。 そんな、チャレンジングな強い日本企業の成長を支えて行きたいと考えています。 Facebook URL https://www.facebook.com/jigyoshokeilabo/ Twitter URL https://twitter.com/jigyoshokeilabo

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