事業承継を自分事として考えなくてはならない方が、おそらくこの記事を読まれているのではないかと思います。事業承継に至るまでの課題はそれぞれの状況により異なりますが、課題への対策を立てる前に、ぜひ考えて頂きたいことがひとつあります。事業承継とは何なのだろうか?というそもそもの問いです。

事業承継を調べれば、事業計画の立て方や補助金などの資金運用問題、税金対策など多くのメソッドがあり、それぞれに専門家が存在しています。しかし、事業承継の準備を調べるほどに、事業承継そのものが企業と経営者にとっての「面倒事」として扱われているように思えてならないのです。企業や事業にはライフサイクルがあります。人間の一生のように生まれ、成長し、そして衰退していきます。衰退を防ぐためには生まれ変わり、つまり事業のあり方を再生していく循環が必要となってくるのです。

結論から言えば、事業承継は企業のライフサイクルを新しく蘇らせるチャンスでもあります。特に、後継者にとっては、自分の舵のもと、新たな事業方針を打ち出していく大きな転換チャンスとなります。事業承継をリスク以上のチャンスに変えるために必要な要素について、この記事ではお伝えしていきます。

事業承継とは何なのか?次期経営者にとっての本当の課題

では、あらためて事業承継の本質を考えてみたいと思います。その上で、特に事業を受け継ぐ次期経営者にとって、補助金や税金などの問題に隠されて見えにくくなっている事業承継の本当の課題とは何なのか一緒に考えてみて頂ければ幸いです。

――◯事業承継の現状:税制対策や補助金に向けられる関心の高まり

現代の日本社会において、事業承継の重要度は極めて高くなっています。中小企業庁のデータによると、2025年には中小企業・小規模事業者の経営者の64%に当たる約245万人が70歳以上となります。その上、245万人のうち52%の127万人の経営者には後継者が存在しない見込みなのです。日本企業全体の約3分の1に相当する数字と書くと、問題の深刻さも見えてきます。

企業の後継者が存在せず、事業が潰れるとどうなるでしょうか。当然雇用は減少しますし、製造業などでは下請けにあたる取引先も大きなダメージを受けることになります。予測では、10年で650万人程度の雇用の損失が生じる見込みです。

日本社会全体として、事業承継を推し進める必要があるのは間違いありませんし、補助金などの支援を国として用意しています。しかし、事業を受け継ぐ当事者にとっては、やはり事業承継の負担は大きいと言わざるを得ません。詳しく知りたい方は以下の記事も参考にしてみてください。

事業を継承する際の問題や事業承継が急がれる理由について分かりやすく解説

事業承継の準備には費用も労力もかかるため、どうしても事業承継の方法論ばかりに目がいきがちになります。政府の支援方法のメインは補助金ですから、費用面の対策を中心に考えることがやはり多いのです。

事業承継でかかる費用を知る 特例事業承継税制や補助金まで

確かに費用の問題は企業にとって極めて重要です。しかしそれは事業承継という課題の本質なのでしょうか?

――◯事業承継の課題はお金の問題か?「経営方針」を定める重要性

そもそも事業承継で費用を工面するのはなぜでしょうか? それは企業を存続させ、事業を発展させるためです。ということは、補助金を利用し税金対策をうまく行ったところで、事業が衰退し、企業の存続が危ぶまれるならば意味がないのです。

事業承継の流れを見て頂くと、事業承継の最初のプロセスは「創業からの歴史を振り返る」ことであり「経営理念や価値観の明文化」となっています。歴史を振り返ることも理念や価値観の明文化も資金を生むわけではありません。しかし、企業価値を高め、結果として事業を発展させるためには欠かせない最初の一歩なのです。

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もしあなたが、すでに事業承継の準備をされているのなら、最初のプロセスをきちんと丁寧に行えているか企業理念や価値観は明文化され、社内外に浸透しているか、ぜひ振り返って頂けたらと思います。また、これから事業承継の準備をされる方には、ぜひ最初のステップを蔑ろにせずに計画を立てることをお勧めしたいのです。

企業理念や価値観は、言語化できたあと、実は浸透させるまでに時間がかかります。だからこそ、早い段階から企業の理念や価値観、いわゆるミッションビジョンバリューを見直していくことが望ましいのです。

事業承継において経営方針の言語化が重要な理由

とはいえ、特に事業承継が差し迫ってくると色々な課題に追われていきます。理念や価値観の言語化はどうしても後回しになりやすいのも無理のないことでしょう。それでも、次期経営者にとって企業理念や価値観、そして新しい経営者としての経営方針の言語化に取り組むことが非常に重要であることを改めてお伝えしたいのです。

――◯次期経営者にとって事業承継を戦略上のチャンスとするために

企業理念や価値観、経営方針の言語化が後回しにされる理由は、緊急性がないと思われるからです。事業承継が終わってから取り組めばいいと思われる方も多いかもしれません。ビジネス書の名著「七つの習慣」でも語られていますが、実は「重要ではあっても緊急ではない事象」にどれだけ早く取り組めるかが、ビジネスの成功のカギを握っているのです。

加えて、事業承継を終えたとしても次から次へと緊急の課題は訪れます。事業承継というタイミングは、特に事業承継したいと望んだ次期経営者にとっては、自分の経営戦略を一気に打ち出して切り替える絶好のチャンスなのです。望まずに事業承継に追い込まれている次期経営者であれば、廃業やM&Aの手続きを考えることも有効です。しかし、自分から事業承継したいと望んだ次期経営者ならば、自分が継ぐ事業において「やりたいこと」や「成し遂げたい未来」が存在するでしょう。

あなたはどうして事業承継したいと望んだのでしょうか、会社や従業員の方々とどんな未来に進んでいきたいのでしょうか。事業承継のタイミングこそ、自分にとことん問いかけ、言葉として発信していく必要があります。そうすることで、社内外の信頼や評価につながるのです。

――◯企業価値をミッションとビジョンで底上げする戦略

ミッションやビジョン、バリューの明文化、そして発信が企業価値を高めた事例は国内外に数多く存在します。

海外で言えば、アウトドアウェアなどを取り扱うパタゴニアは分かりやすい代表例です。パタゴニアのミッションは「故郷である地球を救うためにビジネスを営む」ということ。このミッションはパタゴニア創設者の自分史に端を発し、アメリカの本社はもちろん、世界規模で統一された経営方針として続いています。

コストがかかっても、環境保護のためのリサイクルを推進するのがパタゴニア。また、アメリカでの事例ですが、ミッションを貫くために「DON’T BUY THIS JACKET(このジャケットを買わないで)」といった広告を出したこともあります。ミッションに背いて地球環境に悪影響を与えるなら、自社製品でも買わないで欲しいという企業としては珍しい意思表明です。突出した企業姿勢のため、ユーザーの好き嫌いは激しいようですが、パタゴニアしか買わないという熱烈なユーザーも多数存在します。企業規模では遙かに小さいにもかかわらず、GAFAの一角であるアマゾンがパタゴニアの企業価値を高く評価しているのも、彼らのミッションの影響が大きいと言えます。

では、日本の中小企業においてはどうでしょうか?ここで、大阪の採用ブランディングカンパニーであるTOMORROW GATE(トゥモローゲート)の事例を紹介させて頂きます。ブランディングコンセプト「オモシロイかどうか」を価値基準に、企業ビジョン「世界一変わった会社で、世界一変わった社員と、世界一変わった仕事を創る」を打ち出している企業です。

ホームページをはじめ、ブランドのカラーをブラックで徹底。特にTwitterでは会社のメンバー全員がブラックなアイコンを用い、尖った発信を続けていることで、注目を集めています。インターン生が企画として発信を競う「ブラックなインターン総選挙」など、トゥモローゲートのメンバーそして応援者たちの間でオモシロイ企画が次々に生み出されています。

社員は10名程度の企業規模ですが、トップの西崎氏を筆頭に全社員の発信は毎日活発で、SNS手当やSNSの研修など、発信を応援する会社の仕組みや文化が出来ています。同社のファンは日々増え続け、社長の西崎氏のTwitterフォロワーは2019年12月時点で3.3万人を突破しています。Youtubeも動画を上げる前から、チャンネル登録者数が1000人を突破しました。どれだけファンがいるのか数字からも伝わります。彼らのオフィスも「オモシロイ」と「変わった会社」を軸に遊び心ある設計にされていて、オフィスに投資額以上の広告効果をもたらしました。

ミッションやビジョン、バリューを明文化し、発信して浸透させることは、企業価値を高めます。そして、企業価値を高めることは、そのまま多くの企業が悩む採用や広報の問題を改善することにもつながっていくのです。長期的利益を考えるならば、理念や価値観の明文化と発信は事業承継の目的である事業の発展に不可欠といえます。

企業と経営者の「クレド」を言語化し経営の軸とする

多くの日本企業には、明文化された企業理念や価値観が存在していますが、「単なる教訓」程度にしか扱われていないことも多く、企業価値を高める意識までは定着していないと考えます。ここまで語ってきたのは、企業理念や価値観の明文化だけではなく、発信と浸透が必要だということなのです。事業承継の場合は特に社内への浸透が先になるでしょう。理念や価値観を社内に浸透させるために求められるもの、それが「クレド(Credo)」です。

――◯企業のクレド:ミッション・ビジョン・バリュー

「クレド」とはラテン語で「我は信じる」「信条」を意味しています。経営においては「企業活動が拠り所とする価値観・行動規範を簡潔に表した言葉」として、特に従業員への浸透と共有が意識されて用いられる用語です。

有名なのは、ホテルリッツカールトンの従業員たちがもつクレドです。彼らはクレドが書かれたカードを常に持ち歩いています。そして、クレドに沿って、お客様に対して対応することで、一流のサービスを生み出し、リッツカールトンのブランドをさらに高めています。

単なる言葉では意味が無いのです。発信し、浸透したときに、企業理念を落とし込むクレドは大きな効果を発揮します。企業理念、あるいはミッション・ビジョン・バリューなど、様々な言葉で語られるので混乱しますが、全ては企業という「法人」がどう生きてきたのか、そしてこれから生きていくのかを色々な切り口で表現しているだけにすぎないのです。

対人関係を考えてみましょう。いきなり信頼するのは無理な話で、相手の人となりを知ることからスタートです。同じことが企業活動でも言えます。企業に属する人や関わるビジネスパートナー、そしてお客様にとって、企業の「人となり」を知ることから関係が始まり、信頼になっていくのです。

人間関係でも人となりを黙って察しろというのは難しいし、時間もかかります。相手が企業という表情も見えない「法人」ならなおさらです。だからこそ、法人の代表者である経営者が言葉と行動で伝えていくことが必要となります。特に、これから事業を受け継ぐ経営者はまだ信頼値の蓄積が不足している分、不足している信頼を補うための志を言葉とし、クレドとしてまずは社内に浸透させていけると理想的です。

――◯経営者のクレド:経営者の自分史と価値創造のストーリー作り

「企業理念や価値観を明文化し、クレドとして浸透させる」と簡単に言っていますが、過程は様々です。そもそも言葉にすることが苦手という経営者もいらっしゃるでしょう。あるいは言葉にしてみても、クレドという発信にまでは移せない方もいるかもしれません。

まず少しでも理念の言語化にチャレンジしてみたいと言う方は、経営者自身の人生の歴史を振り返ってみることから始めることをお勧めします。たとえばこんな質問が思い浮かぶでしょう。

  •  子どもの頃から好きだったものは何でしょう?
  •  子どもの頃からどうしても嫌いなものは何だったでしょう?
  •  どんな大人に憧れてきたのでしょう?
  •  どんな夢を抱いてきたのでしょう?
  •  今まで学んできたことは何でしょう?

それらの質問の答えを、「どうしてその答えになったのか」とさらに深掘りしていくと、どうして自分が事業承継したいと思ったのかの理由へとつながっていくことが多いのです。もちろん、事業承継が義務となっている方もいるかもしれません。けれど、従業員やお客様、そして何より自分自身の幸せのために、本当に「自分の志」を軸として、会社を経営していく未来を選んで頂けたらと思います。その一歩が、自分自身の振り返りであり、価値観の言語化です。

そこからさらに、企業の歴史の振り返り、企業理念や価値観の言語化まで進めて頂ければ、今後社会がどう変動してもビジネスの軸が固まります。事業承継したあとの事業が本当に「あなたのビジネス」となります。

事業承継は自分を見直し企業理念や価値観を打ち出す次期経営者のチャンス

次期経営者にとって、事業承継は確かに大変なプロセスですが、一方で経営戦略上のチャンスでもあります。

事業承継で得られるチャンス

  •  企業価値を高め、事業を発展させるという事業承継の本質を見直せます
  •  企業理念や価値観を明文化し、浸透させることで企業価値を上げられます
  •  次期経営者にとって自分自身の見直しになり、新しい方針を打ち立てられます
  •  理念や価値の言語化が新しい経営者の足りない信頼値を補うことにつながります

これらの理由からも、企業理念や価値観の明文化、そしてクレドとしての発信・浸透まで、長期的に考えて取り組む価値のあるプロセスだと伝わればと思います。

もちろん税制対策などを軽視するわけではありませんし、次期経営者が言語化を苦手とする場合、理念や価値観は後回しにされ続けることもあります。補助金などにそれぞれの専門家がいるように、企業理念の明文化や発信に不安がある方は、専門家に相談することもできるでしょう。

事業承継の計画を立てる段階で、資金面などの対策とあわせて、新しい経営方針の言語化と発信への試みを早い段階から積極的に取り入れることを少しでもご検討頂けたら幸いです。

 執筆者:多田ゆりえ
多田ゆりえ
ミッション発信コンサルタント兼ライター。
国際基督教大学卒業後、社会人経験を経て、県立広島大学大学院にて社会福祉学修士取得。
2018年8月に個人事業を立ち上げ、翌年8月株式会社心の文章やを創立。大学および大学院でのインタビュー調査を元にした論文執筆経験とマーケティングや自分史の学びを組み合わせ発信軸の策定や理念の言語化をサポート。
運営サイト「ミッション大全」他