事業承継を調べていると、事業承継税制や事業承継補助金の情報に多く触れることになります。しかし、事業承継で引き継がなければならないのは資産や現金、株式など目に見えるものだけではありません。企業の風土、ブランドといった目に見えない資産を引き継ぐことも事業承継を成功させる上で重要であり、経営者として企業を牽引していくための素質を後継者が身につける必要もあるのです。「後継者という立場ならではの不安や悩みを打ち明ける相手が欲しい」という声も多いなかで、後継者塾はアトツギの強い味方となってくれるでしょう。この記事では、後継者が経営者としての資質を身につけるために活用したい「後継者塾」について、詳しく解説していきます。
後継者塾は、その名の通り事業承継によって次期経営者となる後継者に対して、経営者として求められるビジネスやマネジメントのスキル習得を促す場です。これらのスキルを習得することで、事業承継へのモチベーションを高めることにも繋がります。
セミナーや勉強会のような形式で開かれることが多いですが、単なる座学の講習ではなく、デモンストレーションやロールプレイングの場を提供する後継者塾も多く存在します。また、特定の業種に絞らず、様々な環境で事業承継を行う後継者が集まるので、後継者同士の繋がりを構築したり、お互いに切磋琢磨しながら高め合う仲間を作ったりする場としても活用できるのがポイントです。
ここからは、なぜ後継者塾という仕組みが始まったのか、後継者塾に足を運ぶことでどんな恩恵が得られるのか、詳しく見ていきましょう。
――◯「先代社長」の力を借りずに組織をまとめ上げるまで事業承継は終わらない
先代に頼らず企業を牽引していく、古参の社員に認められる実力を身につける、経営に必要なノウハウを習得する……など、事業承継において後継者が超えなければならないハードルは少なくありません。これらをクリアしていくことで、事業承継後の経営が安定し、経営革新や新規事業にも取り組みやすくなります。
こうしたハードルをクリアできるかどうか、という点については、企業の風土や業績によるところもありますが、後継者が備えているビジネススキルにも大きく依存しています。事業承継そのものは、株式を譲渡して経営権を渡せば完了してしまいますが、その後の経営をうまく仕切れるか、という点については完全に別問題です。
事業承継前後は「社長のご子息だから…」というバイアスがかかった状態で組織が一枚岩になることも考えられますが、それはあくまで一時的な団結に過ぎません。既に引退した「先代社長」の力で団結している組織は、現・経営者ではなく「先代社長の後継者」だから認めているだけ、ということも考えられます。後継者が他の従業員や役員、幹部のメンバーから真の意味で認められるまで、ソフト面の事業承継は完結しないのです。
――◯先代社長の不安を取り除く一助になる
先代社長から見ると、後継者には「まだ頼りないから会社を任せられない」「頼れる仲間を見つけて欲しい」といった不安が生じるのも無理はありません。しかし、それらの不安を解消するためには後継者自身が考え、行動する環境を用意してあげる必要があります。
冒頭でも述べたように、後継者塾の多くは「ワーク型」で開催されているので、デモンストレーションやロールプレイングを豊富に織り交ぜながら、経営者に求められる素養を養っていくカリキュラムを立てています。
また、自分の会社で経営者をやるためにどんな能力が必要なのか、一番良く知っているのは先代社長ですから、後継者教育については、後継者はもちろん先代経営者や事業承継の専門家とすり合わせながらプランニングしていくのが良いでしょう。
――◯後継者教育の水準が事業承継の成否を分ける
それでは「どのように後継者教育を施せばいいの?」と悩む経営者も少なくありません。ここで、後継者教育に関する面白いデータがあります。東洋大学経済学部で教鞭を振るうかたわら、中小企業金融公庫総合研究所で研究顧問としても在籍している安田 武彦氏が発表した論文をもとに、どのような後継者教育を施せばよいのか、見ていきましょう。
・後継者に「学歴」は関係ない?
安田氏は創業企業の経営者がどのような教育を受けたか、という点に着目し、「経営者が受けた教育の水準」と「企業のパフォーマンスに与える影響」について相関性がないか調査しました。
創業後の企業のパフォーマンスを巡る研究において年齢とともに、 創業企業のパフォーマンスに影響を与えるものとして注目されるのは、 創業経営者が受けた教育の水準である。 欧米における多くの研究の結果は経営者の教育水準の高さは企業のパフォー マンスにとってプラスの影響を与えるというものであった。
しかし、学歴と企業のパフォーマンスについて、日本の企業では相関性が認められませんでした。このことから、事業承継によって経営者となる後継者についても、学歴以外に重要な能力があると推察されます。さらに安田氏は論文の中で、こう述べていました。
Honjo (2005) は、 創業金融に係る研究の中で学歴の持つ興味ある側面を指摘している。 それは、 学歴の持つシグナルとしての効果である。 つまり、 学歴というものが経営を遂行してい く上で実際にプラスに作用するか否かは不明であるが、 経営を遂行していく上でプラスであるとの認識が一般に浸透しており、 これが金融機関からの融資を容易にするという見方である。 Honjo (2005) は、 こうした考察のもと、 学歴が創業直後の企業の円滑な間接金融に対して有利な影響を与えることを示し た。 また、 忽那 (2005) も中小企業への政府系金融機関の貸付決定が企業家の学歴によって影響されている可能性を指摘している。
なんと、学歴が直接的に経営手腕に関係するのではなく、「学歴が経営を遂行する上でプラスに作用するだろう」というバイアスが浸透しているため、金融機関からの評価が高まり、創業直後に融資を受けやすくなる、ということ。
これらを通して、「資金調達が成功することで、結果的に経営が上手くいく可能性もあるじゃないか」と考える方もいらっしゃるでしょう。しかし、事業承継によって経営者になる場合と、創業して経営者になる場合とでは、経営者になった時点で課せられている条件や、やるべきことが異なるので、そうとは言い切れないのです。
一般的に、創業後はVC(ベンチャーキャピタル)や日本政策金融公庫、クラウドファンディングなどで事業内容を認められて資金調達を果たし、さらにサービスを伸ばしていくのがひとつの目標。しかし、事業承継の場合は資金調達ではなく、「既存の事業を維持・発展しつつ経営革新を行い、企業を存続させること」が目的となります。「資金調達ができたから事業承継が成功する」のではなく「事業承継を成功させるために資金が必要なこともある」というのが正しい認識です。したがって、後継者に求められる能力は、創業社長に求められる能力とは大きく異なるのです。
また、安田氏はこの論文で、親族内承継の場合は学歴がなくともステークホルダーや金融機関から◯◯社長のお子さんだから…というバイアスをかけてもらうことが可能なので、学歴は必要ない、とも述べています。しかし、第三者承継となるとそのバイアスが働かなくなるので、高学歴であるほうが周囲の関係者に納得してもらいやすく、結果的に経営にプラスの影響を与える可能性がある、と示唆していました。
後継者と学歴の関係性について
学歴は直接関係ない、と述べてきました。「それならどんな能力が必要なの?」という疑問が湧いてくるでしょう。この問いに答えるためには、事業承継が何のために、誰のために行われるものなのかがはっきりとしていなければなりません。「一般的に事業承継に求められること」と「企業ごとに事業承継に求めていること」があるので、それらを踏まえて考えてみましょう。
――◯一般的に事業承継に求められること
まずは中小企業庁が発行している事業承継ガイドラインを参考に、事業承継がどのような役割を果たすのか見てみます。
中小企業の中には時代の先駆けとして積極果敢に挑戦し、その過程で生み出したアイディア、技術やサービス等を武器として、大企業と渡り合い、 あるいは新たな市場の開拓に成功する企業も存在し、我が国経済の活性化の一翼を担っているといえる。 このことは、小規模事業者についても同様である。小規模事業者は所在する市区町村や近隣自治体への商品販売の割合が多いなど、特に地域における商品・サービスの提供主体として欠くことのできない役割を担っている
日本に存在する会社のうち99%が中小企業、という状況を如実に表しています。また、小規模事業者はさらにきめ細かく、地域の経済循環のキーを握っている存在であることが示唆されていました。さらにガイドラインでは以下のように続きます。
一方、他者の提供する商品やサービスを購入する消費者の立場も併せ持っており、小規模事業者を介した循環型地域経済を形成しているのである。 国として、このような中小企業の成長を後押しし未来に承継していくことは、 日本経済が持続的な発展を続けていくために必要不可欠な取組である。
国としても、中小企業や小規模事業者の維持・発展は望むところであり、日本経済全体を俯瞰して見たときに、必要不可欠な存在である、と語られています。また、経営者の高齢化について、「全国の経営者の平均年齢は59歳9ヵ月と、過去最高水準に到達している」との記載も。
総括して、ガイドラインでは「中小企業の活力の維持・向上のため、事業承継の円滑化に向けた取組は中小企業経営者や支援機関、国・自治体等、すべての当事者にとって喫緊の課題である」と語られています。
つまり、事業承継によって期待されていることがらは次の3つと言えるでしょう。
この3つを果たすために、後継者は不足しているスキルを伸ばし、足りない経験を積んでいくための教育を受けなければなりません。そして、必要なスキルや経験は承継する企業によって異なります。
――◯企業ごとに事業承継に求められること
承継する企業によって、後継者に求められることや課せられる課題は大きく異なります。例えば、弊社が取材させていただいた「株式会社ユニオンネット」様は「楽しく成長できる環境づくり」を課題として捉え、相談しやすい雰囲気を作るために1on1の面談を行ったり、社内外へ想いを発信したりといった取り組みに尽力していらっしゃいました。
また、同様に弊社が取材させていただいた「山の壽酒造株式会社」様は、低迷する日本酒業界で業績を回復させるためにも新商品の開発に着手し、新たにリキュールやレモンサワーのベースなど伝統にとらわれない商品作りに勤しんでおられました。さらに組織改革の一環として、杜氏が育っていく環境を作るために「杜氏制」を廃止して「社員制」を導入しています。
それぞれの企業が抱える課題は千差万別。先代経営者では見えなかったほころびが、後継者の目には鮮明に映ることも少なくありません。「社内でまかり通っているから」と社外に目を向けなかった結果、先代経営者が時流に乗り遅れているケースも。若い世代の後継者だからこそ見つけられる違和感やギャップ、改善点をしっかりと言語化して、先代経営者や社内に呼びかける機会を設けることが大切です。
その上で問題点を洗い出し、後継者がそれらをクリアするためにどうすればよいのか、どんなスキルや経験、立場が揃えばクリアできるのかを話し合い、後継者教育のプランを立てていくとよいでしょう。既に説明した「事業承継によって期待されていることがら」も盛り込んだプランニングが大切です。
事業承継を行う企業にとって、承継後も堅調な経営が続いていくことが最も重要です。そのために必要になるのが後継者教育ですが、じつは「どのように事業を引き継ぐか」という点も後継者のパフォーマンスには大きな影響を与えます。「事業承継の理由」「後継者教育の期間」という切り口で、どのように事業承継するのがよいのか詳しく見ていきましょう。
――◯先代の「他界」や「高齢化」を理由にした承継は避ける
まず、先ほど紹介した安田氏の論文では、事業承継の理由と後継者の選定について以下のように触れられています。
最初に先代の他界や高齢化といった事由による承継が如何なるものであるか考えてみよう。 それは(中略)企業とりわけ経営者に依存するところの大きい中小企業にとって存亡の危機ともいえるものである
さらに以下のように論を展開。
そしてこうした企業の危機に際しては、 関係者から見て正統な承継者が選定されやすい。 つまり、 先代の 「他界」 や 「高齢化」 といった 危機を乗り越えるために、 従業員や取引先等企業のステークホルダーからみて最も正統性の高い承継者として子息等が選任される可能性が高まる
また、論文には以下の図表が掲載されています。
これは事業承継の理由ごとに、親族内承継と第三者承継の件数を示したもので、「有り」「無し」とは事業承継の準備期間の有無を指します。この中に後継者教育なども含まれていると考えてください。安田氏はこのデータを次のように総括しています。
子息等承継においては先代経営者の他界を理由とする事業承継において他の事由による承継に比べ、 承継準備期間無しの割合がとりわけ高いものとなっている (44.6%)。 つまり子息等承継の場合、 先代経営者の他界が特に承継準備期間の有無と密接に関係しているのである
先代の逝去によって親族内承継を果たした企業の4割以上は「承継準備期間を用意できなかった」ということ。このデータを踏まえて安田氏は「準備期間を設けて事業承継を行った企業」と「準備期間を設けずに事業承継を行った企業」の承継後のパフォーマンスについて調査し、以下のように述べています。
子息等承継、 第三者承継いずれにおいても承継準備期間の存在が承継後の企業パフォーマンスに対して良好な影響を与えるということである。 やはり一定の準備が事業承継には必要なのである。 そうであるとすれば、(中略)先代の他界による子息等承継の特徴は、 こうしたタイプの承継のパフォー マンスを低い水準のものとする効果があるであろう
事業承継全般について、準備期間が必要であると述べる安田氏。それでは、いったいどれくらいの準備期間があれば、承継後のパフォーマンスは高まるのでしょうか。
――◯後継者教育はどれくらいの期間を確保すべき?
中小企業が示した「事業承継の準備期間」は5〜10年と言われていますが、安田氏の論文では次のように解説されています。
承継までの準備期間を年別にとり、 説明変数に入れると子息等承継では4年、 第三者承継 では2年が有意に高いパフォーマンスを示していた
また、準備期間は「長ければ長いほどよい」というわけではない、と言います。
子息等承継に比べ第三者承継の準備期間が短いことは職場における学習体験という観点から説明可能であるが、 準備期間がこれを越えて長いとその後のパフォーマンスが低下する
論文中ではこの原因について「事業承継の準備期間の定義」と「時代の変化」にあると述べられています。後継者にとって事業承継の準備期間は「自分が経営者になるまでの期間」と言い換えられるため「学習のモチベーションが高く保たれる期間には限りがある」と考えられるのです。そのため、あまりに長い準備期間はかえって後継者のパフォーマンスを低下させているのではないか、と推測できます。
また、事業承継の準備と一口に言っても、中には財務の健全化や組織改革といった「企業の磨き上げ」にかけなければならない期間も含んでいます。そうした「先代経営者が取り組む準備期間」は5〜10年というロングスパンで考えて、「後継者教育にかける準備期間」は2〜4年程度で考えておくのが良い、と考えられるでしょう。
ここからは、実際にどのような団体が後継者塾を開催しているのか、詳しく紹介していきます。
――◯商工会議所(事業承継ネットワーク)
全国各地に拠点を置く商工会議所。経営指導やマーケティング支援など、中小企業や個人事業主の経営サポートを無料で行ってくれますが、実は事業承継についても精力的に支援を行っています。
ここでは例として東京商工会議所が開催している「後継者経営塾」についてご紹介しましょう。
主催 | 東京商工会議所 |
講義回数 | 5回 |
対象者 | ・中小企業の後継予定者または、すでに事業を引き継いで間もない方(概ね3年以内) ・カリキュラム全5回にご参加いただける方 |
出典:後継者経営塾
東京都商工会議所が開催する後継者経営塾の特徴は以下のとおりです。
「後継者経営塾」の特徴
カリキュラム内容を覗いてみると、マーケティングの基礎やブランディング、Webマーケティング戦略など、現代のビジネスの根本からしっかりと教えるものばかり。ビジネススキルや知識に不安が残る後継者であっても、安心して参加することができます。
講師は中小企業診断士や社会保険労務士など、数々の企業でコンサルティングを行ってきたプロフェッショナルが務めるので、実際に即した講義内容が期待できるでしょう。実務に活きる知識が無料で手に入るので、参加しない手はありません。
――◯地方自治体
日本全国の地方自治体も後継者塾の開催に取り組んでいます。例として、東京都品川区が取り組んでいる「しながわ!後継者塾」の概要を見ていきましょう。
主催 | 品川区 商業・ものづくり課 中小企業支援係 |
講義回数 | 全8回 |
対象者 | 区内中小企業の後継者・後継者(候補)の方 |
出典:しながわ!後継者塾
事業承継センター株式会社から、講師として事業承継士の東條 裕一氏、同じく高橋 聡氏を招いて開かれる全8回のカリキュラム。経営理念の意味や経営戦略の立て方、ビジネスモデル、労務、経理まで幅広く履修でき、同じ境遇にいる後継者同士が繋がれる場としても活用できます。
――◯事業承継を専門とする企業(事業承継センター株式会社)
事業承継センター株式会社は、事業承継を専門とするコンサル企業。後継者塾の開催にも力を入れており、先ほどのしながわ! 後継者塾のように全国へ講師を派遣することも。事業承継センター株式会社が主催する後継者塾の概要について見ていきましょう。
主催 | 事業承継センター株式会社 |
講義回数 | 11回 |
対象者 | 経営を引き継ぐ後継者、経営者候補者、経営者になって間もない方 |
出典:事業承継センター株式会社
全11回、あわせて44時間の講義に加えて夏合宿まで盛り込まれた充実のプラン。事業承継に向き合ってきた経験豊富な「事業承継士」が、後継者の経営指導だけでなく「上手な事業承継の方法」から向き合ってくれるのが特徴です。受講料は36万円(税抜)かかりますが、合宿などを通して他の後継者とより深い繋がりを構築できるでしょう。
――◯無料で受講できるものが多い
自治体や商工会議所が開催する後継者塾のなかには無料で参加できるものが多く、逆に企業が開催する後継者塾には有料のものも散見されます。
主催する団体によって内容は細かく異なるので「どのような能力を身につけるべきか」「自分に足りないものはなにか」を明確にしてから受講するのが良いでしょう。どのような能力が不足しているのかわからない場合は、ひとまず無料で開催されているところに参加して、どんな能力が求められているのか、という点から質問してみるのもおすすめです。
また、お住まいの自治体でも後継者塾が開催されている可能性があるので、ぜひ調べてみてください。
事業承継はゴールではなくスタート。承継後の経営にも目を向けて、経営を引き継いだ後継者がしっかりと企業を牽引していけるように「企業の磨き上げ」と「後継者教育」を施すことも先代経営者の立派な仕事です。
この記事を参考にしながら、後継者教育について改めて社内で話し合ってみるのもよいかもしれません。