創業から63年に亘り地域の家庭のガス器具のメンテナンスを担い、キッチンやお風呂のリフォームまで行う嵯峨ガスセンター。社内のデジタル化、業務効率化、SNS発信などの若返り改革を実施する5代目代表取締役 中村 太亮様にお話を伺いました。

株式会社嵯峨ガスセンターは創業63年を迎えますが、事業内容についてお聞かせください。

株式会社嵯峨ガスセンターは、大阪ガスのサービスショップとして、大阪ガスから業務委託されている事業者の一つです。

具体的な業務としては、ガスの開閉栓、ガス給湯器やガスコンロの点検・修理・交換を行っています。また、それに関連してキッチンなどの水廻りリフォームも承っております。

ガス事業とリフォーム活動の関係について詳しく教えてください。

一般的に「ガス屋」といえば、道路のアスファルトを切って、ガス管工事をしているイメージかもしれません。もしくはガスボンベをトラックに詰んで、あちらこちらで交換しているイメージかもしれません。

当社は家庭用ガス器具の修理・点検・販売・施工をメインに行っていますので、地中のガス管工事も、ガスボンベの交換も行っておりません。

具体的には、ガスコンロや給湯器、換気扇、ガスファンヒーターなどを取り扱っています。そのため、例えば家庭のガスコンロを交換する際に、換気扇の交換や台所全体のリフォームをご提案することもあります。リフォームも当社の主要な事業の一つです。

2021年に家業に戻られた際のきっかけや背景について教えてください。

新卒として就活をしている時に、あらゆる会社の面接で「30歳で家業に戻ります」と公言していました。普通面接のときにそんなこと言わないですよね。異端だったと思います。そんな新卒を採用したいと思う会社は少なく、内定をもらえたのは1社だけでした。ただ、その1社が第一志望の会社でしたので、すぐに入社を決めました。そこが滋賀のリフォーム会社でした。今でも採用して頂けたことに、心から恩を感じております。

そして、30歳になったら家業に戻り、アトツギとして入社して、35歳頃には社長になるのかなあ、というイメージを持っていました。小学生の頃から父親にアトツギになることを言い聞かされていましたから、ぼんやりとそんな計画を立てていました。

いよいよ30歳になり、約束の年齢になったときには色々と考えました。このままこの会社でサラリーマンとして働く人生か、家業に戻って社長として生きていく人生か。人生の岐路でしたから、立ち止まって考える時間が多かったです。

父や当時の会社の部長と二人きりで喋る時間を設けて、色々と不安な気持ちを相談しましたが、自分の宿命に向き合って出した答えは、「アトツギとして生きていく」ということでした。

御社の強みはどのような点にあるとお考えですか?

まず、既存の社員が10-30年勤めているようなベテランばかりなので、どのような状況でも確実に対応できることが強みです。

もう一つは、現在の拠点にビルを建ててから50年ほど経ちますが、その間ずっとこの場所で営業しているため、地元の方々には広く認知されており、地域に根付いた活動ができていることが大きな強みです。

社内環境も整えられていると伺いましたが、詳細を教えてください。

これは父の代から続く話なのですが、社員さんは240円でお弁当を食べられる社内福祉制度があります。近隣の会社から一食480円で仕入れたものを、会社が半額を負担することで、社員さんの食費を少しでも抑えています。

この制度により、毎日低コストでしっかりと昼食を取り、ゆっくり休憩してもらい、昼からの仕事に集中出来るようにしています。

家業に戻られて半年後に5代目社長に就任されたとのことですが、その間にどのような準備をされましたか?

特に目立った準備はしていませんでした。というのも、叔父である先代社長が突然倒れ、急遽「今日から社長だ」という形でバトンを渡されたからです。

それまでは、社員さんの日々の活動に同行し、大阪ガスサービスショップって何をしているのか?を体感していました。一通りの同行が終わると、前職の延長線上で、リフォームの営業として現場で働いていました。一から「ガス屋」として経験を積むよりは、前職の経験を活かして「リフォーム屋」として働く方が、即戦力として活躍出来るからです。社内にガス屋はたくさんいますが、リフォーム屋はほとんどいませんでしたから、リフォーム屋として忙しく働いていました。

事業承継はまだ先だろうと思っていた時期に、突然社長になったので、本当に何の準備もできませんでした。

事業承継の中で、最も印象に残っている出来事は何でしょうか?

先述の通り、突然社長業務を行うことになりました。

小さな会社ですので、昔から社長が「業者さんへの支払い、税金の支払い、給与の支払い」などの金銭的な管理や各種申請を行っていました。

何も引継ぎをしていないのに、「締め切りが明日です」といった案件が次々とやってきて、とにかく大変でした。

しかし、先々代の父が健在だったので助言を受けることができました。もし父がいなければ、どうなっていたか分かりません。

業務がやっと落ち着いてきた頃に、叔父が5か月ほどで退院し、社会復帰出来ました。以前と同じ業務をおこなってくれているので、それ以降は営業と業務改善に集中できるようになりました。

会社の若返りを図るために、デジタル化や業務効率化、SNS発信に取り組んでおられますが、現在最も力を入れている改革は何ですか?

現在は、新たに作成したMVV(ミッション・ビジョン・バリュー)を軸に展開していく予定です。そのために、まずは社内勉強会に注力しています。

元々の経営理念は父が30年ほど前に作成したもので、「より良い会社を目指す」「地域社会に貢献する」「この地域になくてはならぬ会社になる」という内容でした。「より良い会社を目指す」という理念があるのに、社内の各制度や運用について、これ以上手を加える必要はないから改善しない、という雰囲気が社内にありました。

どんなルールも運用も、時代に合わせて変化していかないと取り残されるのに、時代遅れのまま。それにギャップを感じて辞めていく人もたくさんいました。それでも父が決めたルールだから、誰も変えられない。それを変えていけるのは私しかいない、と感じていました。

ただ、父が考え何十年も会社に浸透していた「経営理念」を、全否定するのは違う、とも感じていました。言葉たちは普遍的なもので、社員さんたちにも私にも、しっくりと馴染んでいたからです。

経営理念が悪いのではない。それを活用出来ずに、実態が反している状態が悪いのだと思っていました。

そこで、以前の経営理念を全否定したり書き換えたりするのではなく、もう少し具体的な表現や、現代に合わせた考えで補うように、MVVを作成しました。

これを軸に、社内的には会社の方向性と個人の方向性を合わせられるように、人事評価制度の再構築をしていく計画中です。

社外的には、MVVに共感して働きたい、と思ってくださった方に選ばれるように発信していきます。

現在のMVVをご教示ください。

ミッション(世の中への価値提供)は、「当たり前を超える価値を届ける。」です。これは、「ガス屋」としての「当たり前の価値」をこれからも提供し続けていくだけで、果たして本当にいいのか?という疑問から、「この地域になくてはならぬ会社になる」ためにも、今までの「当たり前を超えた価値」を再定義し、追求し、届けていきます。これからも「地域に貢献し、この地域になくてはならぬ会社」を追い求める為に。

ビジョン(目指す方向性)としては、「地域にぬくもりを届け、変わり続ける会社へ」です。1961年の創業以来、ガス機器を通じて、地域に「ぬくもり」を届けてきました。これからも「ぬくもり」を届ける思いは変わることはありません。さらに幅広く地域にぬくもりを届け続けたいと思っています。このぬくもりというのは、単にガス機器を売るだけではなく、我々が訪問してお客様と接することで、人と人とが交流するぬくもりという意味も含んでおります。

また、「変わり続ける会社」とは、過去の常識を壊し、時代に合わせて柔軟に強い会社であるためにも、全員で変わり続けようという気持ちを表しています。

バリュー(守る価値観)については、「ぬくもりを届けるために大切なこと9つ」「変わり続けるために大切なこと9つ」を定義しています。ぬくもりを届けるにはどうすればいいのか?変わり続けるためにはどうすればいいのか?少しでも具体的に自分事に出来るように、定義しています。これらが人事評価の軸となります。

これらの経営理念とMVVを、一つのシートにまとめています。このシートは新卒採用のパンフレットやSNSで既に発信しており、これからは共感してもらえた方が集まって、一緒に働ける会社にしていきます。

アトツギとして入社したとき、ベテラン社員の方々とのコミュニケーションに困ることはありませんでしたか?

ベテラン社員との関係に悩むアトツギは多いですが、当社の場合、それほど問題にはなっていないと思っています。

入社して半年で社長になりましたが、前職での経験もあり、リフォーム営業として既にある程度の業務ができるようになっていました。ですので、「いきなりやって来た、よく分からない仕事のできないボンボンアトツギが、いきなり社長になりやがった」という認識にはならなかったはず、だと思います。

また、なるべく反発を起こさないように改善活動を続けてきました。

①カンタンに②効率化出来て③ストレスを減らす

を意識しながら改善していったので、短期間であらゆることを改善しましたが、みんな適応してくれました。

そして「インテリ頭でっかちアトツギ」みたいな事にならないように、現場で一緒に仕事をしながら、現場の声を集め、一緒に改善を進めてきたので、仕事に関するコミュニケーションは取れていた方だと思っています。

リフォーム営業については、今も継続してます。現地調査、見積り作成、お客様や職人さんとの打合せ、現場管理、お引渡しまでおこなっております。

ただし、働き方や人間関係の指導に関しては、やはり遠慮が必要な面もあります。役職は上でも、年齢は下ですから、気を使います。思ったことをすぐに口走らないように、相当注意しています。

アトツギとしてのプレッシャーや葛藤を感じたことはありますか?その際、どのように乗り越えましたか?

プレッシャーという点では、若手不足に強い焦りを感じています。

ベテランが多いということは、若手がいないということでもあり、私の世代で何とかしなければならないと感じています。

特にサービスショップという業態ならではの悩みもあり、資格を持つ人が何人以上必要といった規定があり、専門技能を持つ職人が複数人必要です。現在の人数を維持することが非常に重要で、そのため必死で採用活動をしています。

今後の会社のビジョンや展望についてお聞かせください。

先述したMVVに共感してくれる人たちと一緒に働きたいですし、それを社内に浸透させることで、より一層社内の団結を深めていきたいと考えています。

また、将来のアトツギの方々と一緒に働きたいという想いもあります。私も8年間、他の会社で働かせてもらってから家業に戻ってきました。入社の際に「30才で家業に戻ります」と宣言した上で、採用してもらえました。そんな判断をしてくれる会社が少ないのではないでしょうか?「将来的に辞める事が決まっている」社員を、普通はわざわざ採用しません。寛大な判断をしてもらえたことに、今も恩を感じています。

恩返しの意味も込めて、アトツギの会社で働きながら経験を積み、いずれ家業に戻ると決めている方を応援したいですし、積極的に受け入れたいと考えています。

最後に、事業承継ラボの読者である次世代の経営者(アトツギ)に向けて、メッセージをお願いします。

先代が何と言おうが、自分が責任を持って、会社を次の代に繋いでいく、という意識を持つことが重要だと思います。両親や祖父母の時代に比べて、労働力不足や少子高齢化による市場の縮小が起きている日本では、事業を発展させるどころか、現状維持をするだけでも非常に難しくなっています。

だからこそ、先代がどうであったかに関係なく、自分自身の芯を持って、今の時代に合わせて進んでいかなければなりません。

会社の規模が大きいと、すぐに大きな変革を起こすのが難しい場合もあります。反対に、規模が小さく先代が元気な場合は、なかなか思うようにさせてもらえない、という場合もあるでしょう。

どんなアトツギでも、今すぐにできることといえば、SNSで自分と会社を発信することです。

お客様にも求職者にも、選ばれないと生き残れません。選んでもらうためには、まずは知ってもらう事です。最初は反響が無いので、虚しくなります。でも、くじけることなく情報を発信し続ければ、いずれバタフライ・エフェクトが起こり、出会いとチャンスが訪れます。

今自分にできることを考え、小さなことから一歩ずつ実行して、前に進んでいきましょう。