創業163年の歴史を持ち、その中で運輸業・不動産業・飲食業等、幅広い事業を手掛けてきた株式会社若林平三郎商店において、アトツギ甲子園への出場など後継ぎとしての活動も行って来た第六代目代表取締役社長 若林 美樹様にお話を伺いました。

創業163年の歴史を持つ若林平三郎商店の事業概要についてお聞かせいただけますか。

 若林平三郎商店は現在、運輸業と不動産賃貸管理業および飲食業を三本の柱として展開しています。

そのグループ会社として株式会社心囃子があり、こちらも私が社長を務めています。心囃子は、若林平三郎商店の飲食事業部の一部が独立した形で発足した会社で、これまではフランチャイズの居酒屋を複数店舗経営していました。

ただ、コロナ禍を経て居酒屋は全店OBOGたちに譲渡し独立してもらい、事業としては再スタートを切った状態です。 

 

御社の強みについてご教授いただきたいです。

 若林平三郎商店は創業163年の歴史があり、私で6代目になりますが、代ごとに新規事業を展開し続けてきたということが大きな特徴としてあります。

 まず創業時は反物の販売から始まり、次代で醤油の醸造業に代わり、先々代では卸売業、そして先代の父が運輸、不動産業、飲食店などと、当主がその時代にマッチする、自身がチャレンジしたいと思っている事業を次々と展開してきました。

 それも、これまでの事業を否定しているわけではなく、むしろ先代の仕事をリスペクトしつつも、積極的な挑戦によって家業を柔軟に変化させてきたんです。

このような代々続いてきた風土・マインドが、当社の大きな強みだと考えております。 

前職の金融機関やアート事業を経て、家業に入られたきっかけをお聞かせいただきたいです。 

 私の経歴としては、大学卒業後に生命保険会社に就職し、その後転職しマーケティングリサーチなどの経験を経て、結婚をきっかけに岡山に帰ってきたという流れになります。

 幼少期から家業に戻ること自体はずっと決めていたのですが、20代のうちはまだまだ東京で仕事に打ち込みたい気持ちとのせめぎ合いがありました。

そんなときに夫と出会い、家業を手伝うと言ってくれたことが決め手となって、結婚と同時に2人で岡山に移住したんです。 

幼少期から家業に戻ることを決められていた理由をお伺いしたいです。

 私が幼少期の頃は、まだ祖父母が社長と専務、父が常務として会社を回していたのですが、その祖母が私にとってすごくかっこよかったんです。

 当時はまだ女性がメインで活躍する形は珍しかった時代ですが、私が会社に行くと、いつでも祖母が楽しそうに仕事をしていて、ビジネスが好きなんだという話をずっと聞かせてくれました。

 それが原体験となって、私も祖母や祖父、父のように会社を動かしていきたい、という気持ちをずっと持っていたんですね。 

学生時代から家業を継ぐことを意識しながら、金融機関に就職されたのでしょうか?

 そうですね、経歴に関しては戦略的に考えてきた部分があります。

 後継ぎとして家業に帰ってきたとしても、社員の方々や周囲から認められるとは限りませんし、そこで軋轢が生じる事例は多くあります。

 なのでそうした人たちに納得してもらうためにはどうすればよいかと考えたとき、やはり有名大学で経営学を学んだという箔は有用だと思い、そのために中高時代から努力はしてきました。

 生命保険会社に入社したのも、いろんな事業をしている家業においても必ず必要となるのは「物を売る力」だろうと考え、営業の能力を身に付けることを目標としていたんです。

先月、6代目代表に就任されましたが、その際のお気持ちや感想をお聞かせください。

 思っていたよりも環境の変化が大きいな、というのが率直な気持ちです。

 これまでもある程度は父から事業を任せてもらっていましたし、肩書きの違いがあるだけで、何か大きく変わるわけではないと思っていたんです。

 けれども代表に就任したタイミングで初めていただくお話があったり、行く先々で「今後会社をどうしていくのか」とお声がけいただいたりと、想像していたよりもたくさんの方々から期待されているのだと実感しました。

 まだ就任1ヶ月ですし苦労などはないのですが、改めて環境に感謝する機会になったと感じています。 

家業に戻られた後、後継ぎとしてどのような取り組みを行っていたかご教示ください。

 家業に戻ったのは今からちょうど8年前ですが、当時は心囃子の状況が最悪に近く、そこから4、5年はその建て直しに時間を費やしていました。さらにコロナ禍が重なって、そこからの2、3年間で次の展開を準備してきた、という流れになります。

 心囃子建て直しの施策としては、労務改善に一番重点を置いていたでしょうか。

 休日日数を増やしていったり、給与体制を変えていったり、次々と湧き出て来る問題を一つ一つ潰していきました。

 するとだんだん人材採用に力を入れる余裕も出てきて、ようやく組織が整い、さあやるぞ、というタイミングでコロナ禍が来てしまって。そこからなんとか次の形を模索するのに2年半、といった感じです。 

事業承継の準備としては、具体的にどのようなことを行ったのかご教示ください。

 承継の具体的な進め方について、特に父と話し合っていたわけではないのですが、私が家業にジョインして1年ほどの時期から現在にいたるまで、父、私、夫で月1度の会議を開いています。

 毎回ほぼ半日使い、父から会社に関する思いや経営に関するマインドを伝えられるとともに、各事業の実務面での情報交換も行うものです。この会議の中で、父が65歳になる2024年夏を目処に事業承継をしたいと話があり、それまでに父が伝えたいことやお互いが準備していくべきことを洗い出して共有し、次の会議までに目標を定めて進捗確認をしてきました。この過程で父としっかりコミュニケーションを取れたことはとてもよかったと思っています。 

アキナイタウンの取り組みについてもご教授いただきたいです。 

 「アキナイタウン」は、これから新たに商売を始める人に物件探し、販売促進、集客までを一環支援するサービスです。

 これは小規模事業者に対して開業に至るまでの困難やアクシデントまで含めて責任を持って対応することで、若林平三郎商店としてまちづくりに参画し、倉敷・岡山の発展に少しでも寄与することを目指しています。

最後に事業承継ラボの読者に向けてメッセージをお願いします。

 後継ぎの方に関しては、がむしゃらにできることをやれば、それらすべてが事業承継した後に繋がってくると思います。

 私の場合、それまでやってきたことがすべて承継したタイミングで通知表のように返ってきて、反省すべきことももちろん多々ありますが、これまで必死で頑張ってきたことは無駄じゃなかったんだと思える瞬間がありました。

 必ず誰かが見ていますので、一緒に頑張っていきましょう。

 また先代側の人たちに関しては、後継ぎと承継についてコミュニケーションを取るのはある意味で怖いと思うのですが、それでもできる限りすべてを開示して伝えていくことが間違いなく後継ぎのためになりますので、ぜひとも話し合う機会を設けてほしいとお伝えしたいです。

 私と父はその過程でたくさん衝突もしましたが、父が率先してコミュニケーションの場を作り続けてくれたことにすごく感謝しています。自分が次の代に繋げる側になったときにも意識していきたいですね。