創業105年の歴史を持ち、新しい技術にも積極的に挑戦していくものづくり企業株式会社エナテックにおいて、後継ぎとして参画されている榎並 幹也様とその弟・直輝様にお話を伺いました。

創業105年を迎える株式会社エナテックですが事業概要をご教授いただきたいです。

 >幹也様

 事業としては、大きく分けて機械加工と機械装置の製造販売を取り扱っています。

 さらに装置の製造はその中でも二つに分けられ、一つはOEMという形で医療機器を、もう一つは自社製品として半導体基板などの電子機器を手掛けています。

 元々は機械加工を主軸とした企業でしたが、今の大阪府和泉市に工場を移転した20年ほど前から電子機器関係にも注力を始め、現在はそちらでもある程度の利益が出せる体制を構築できています。

創業105年とお伺いしましたが、創業当時はどのような事業を展開していたのでしょうか。 

 >幹也様

 うちの家系は元々徳川家康に仕えていた鉄砲鍛冶で、江戸幕府でも鉄砲の製造を生業としていたそうです。それが明治維新を経て鉄砲の需要が減少したため、事業を変革して機械加工に至ったと聞いております。

 加えて、戦時下では戦闘機や機関銃の部品なども製造していたようですが、終戦後はやはり需要の消滅とともに農業用機械や産業用エンジンの製造へと転身しました。

会社の強みをお伺いしたいです。 

 >幹也様

 他の後継ぎの方とも交流する機会があるのですが、当社の大きな特徴として、伝統的な安定性のある事業と比較的発展性がある事業の両方を抱えている点があると思います。

 たとえば電子機器分野では、スマートグラスのある関連装置について プリント基板の端面コーティング装置という、国内では唯一当社だけが製造する技術を有しています。現在は銅、アルミなどの板材へのコーティング装置が主ですが、徐々にスマートグラスやスマートフォンに用いられるガラスや樹脂へのコーティング需要が高まっています。

 今後、間違いなく発展していくであろう分野の技術を既に保有していることや、二つの事業の交流によって既存の技術と新しい技術との相互作用を期待できることなどは、大きな魅力と言えるでしょうね。

 加えて、製造業などは高齢化の進行が激しい業界の一つですが、当社は30代までの比較的若い人たちが社員全体の30~40%を占めており、若くエネルギッシュな人材を擁している点も強みと言えると思います。 

大学卒業後塾講師をやられていたとお見受けしましたが、家業に戻られたきっかけをご教授いただきたいです。 

 >幹也様

 僕の場合は大学が当初オーストラリアだったので、オーストラリアに永住しようと思っていた時期もありました。

 その後結局は家庭の事情で日本に帰国しなければいけなくなったのですが、弟が先に家業に入ってくれるということもあり、まだ家業に携わる気はありませんでした。

 そこで卒業後は、当時アルバイトしていた塾で講師として3年間勤めました。ただこれも面白い仕事ではあったのですが、これからの人生でずっと続けていける仕事なのか、という迷いはあったんです。

 そんなときに、1年早く家業に入っていた弟から「一緒にやりたい」という話をもらって、そこで同様に家業に戻ることを決意しました。僕としては、親から言われたことよりも、弟からかけられた言葉のほうが強く響きましたね。

 >直輝様

 僕に関して言うと、元々京都の大学に通っていて、3年生のときにはもう就職先は決まっていたんです。

 ただ、時たま実家に帰る折に会社の話になって、父親から「お前が継いでくれへんか」という話をされたことがありました。

 今まで育てられてきた身なので、親孝行という側面もあり、そこから元々入る予定だった会社を一旦断って、2年ほど工作機械メーカーで経験を積み、大阪に帰って家業に入ったという流れですね。 

 >幹也様

 その一言、僕にはありませんでした(笑)。父としては弟のほうが確実だと思ったんでしょうね。ただ僕にも「戻ってきてくれて嬉しい」とは言ってくれました。 

後継ぎとして今取り組まれている内容をご教授いただきたいです。

 >直輝様

 僕は元々工作機械メーカーで2年ほど技術を学んでいたので、その経験を活かしつつ現場からその管理に向かっていって、今は現場の統括に近い位置にいるイメージです。 

 >幹也様

 僕は元々機械設計などをする予定でしたが、入社直後にバックオフィスの人材が不足しているということで生産管理を担当することになりました。その後も結構転々としていて、人事や労務、事務システムの管理などを引き受けながら、最近ではバックオフィス系の業務アプリの開発やデザイン業務、WEBでの広報を含めた採用活動を手掛けています。 

実施されている事業承継の準備についてお伺いしたいです。 

 >幹也様

 我々は今部署単位では一番上にいるんですが、社の一番上という視点にはまだ立っていないので、会社全体を見通す視野の広さを承継までに獲得したいと思っています。

 そのためにもどういう部署を作りたいか、どういう会社を作りたいかという構想を文章にしろ、と言われることも増えてきましたし、今は父から経験値を貯めていく時間を与えられていると言えるでしょうね。

 ちなみに株関連の話でいうと、現社長である父がいつの間にか終わらせてくれているんですよ。

 実際の承継は今から2年後という話になっているので、そこでの円満な引継ぎに向けて色んなものが進行している状況です。 

今後の展望を教えていただきたいです。 

 >直輝様

 現代では製造業のデジタル化が大きな潮流として進行しているので、そうした人材の育成や業務効率の改善を承継までの2年間で着手していきたいです。

 加えて今手掛けている新規事業は間違いなく伸びしろがある分野ですし、それに先行して参入できているのはチャンスだと思っていますので、さらに深く参入できるようにアプローチを続け居たいですね。

 特殊な専門技術をもっと一般化した形で展開して、将来的には我々の生活の中にダイレクトに影響を与える事業に成長させていきたいと思っています。

事業承継ラボの読者にメッセージをお願いいたします。

 >直輝様

 家業に入って感じたこととしては、やはり現場寄りの仕事であるため、これまで交流してきた大学や社会の人たちとは感覚が違うということがあります。

 自分は会社を良くしようとしているのに、それが伝わらない、共感してくれなくて、苦労することはたくさんありました。

 ですので後継ぎとなる以上は、思っていた通りにいかないというギャップが必ず出てくるとは思います。

ただ結局のところ、そうした困難を乗り越えることで普通の会社勤めでは得られない大きなやりがいを得られることが、後継ぎとしての最大の魅力と言えるでしょうね。 

 >幹也様

事業承継において一番難しいのは、先代との関係になると思います。

先代との仲が拗れたりすると、既存の社員は当然先代の側に付きますから、そこで本当に会社が割れてしまう。その結果後継ぎが出て行ってしまった事例なども聞いたことがあります。

ですのでズブズブの関係になれと言っているわけではないですが、ある程度は先代の顔も立てて、良好な関係を保っていくことがとても大事ですね。

 そこで言うと、当社は僕と弟の間も揉め事はそこまで多くないですし、父も融通を聞かせてくれますから、比較的恵まれている方なんだと思います。

 自分の色を出すことはもちろんですが、先代から引き継いだものを尊重してよりよくするという精神も、同じくらい大事になるでしょう。